
गुरूनहत्वा हि महानुभावान् श्रेयो भोक्तुं भैक्ष्यमपीह लोके।
हत्वार्थकामांस्तु गुरूनिहैव भुञ्जीय भोगान् रुधिरप्रदिग्धान् ॥२.५॥
gurūn ahatvā hi mahānubhāvān śreyo bhoktuṃ bhaikṣyam api iha loke |
hatvā artha kāmān tu gurūn iha eva bhuñjīya bhogān rudhirapradigdhān ||2.5||
偉大な師を殺すくらいなら この世界で物乞いになった方がよい
もし彼らを殺すなら この世界で体験する安全や喜びは 血で染まったものとなりましょう[2-5]
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アルジュナは、深く尊敬する祖父ビーシュマと、師ドローナら親族を殺してまで王国を手に入れるくらいなら、施し[bhikṣā]で生きる方がましだとクリシュナに告げました。
他者に負担をかけないよう、少しずつ食べ物を集める施しの生活は、サードゥやブランマチャーリーにのみ許された生き方です。
アルジュナは、既に父親であり、祖父でもあるためブランマチャーリーにはなれません。
そのため、彼の考えは、サードゥの生き方へと完全に変化していました。
この「戦場を去り、森で物乞いの生活を送りたい」というアルジュナの願いは、彼が『ギーター』の中で何度も問いかける根本的な疑問のベースです。
その質問とは、「カルマ・ヨーガとサンニャーサのどちらが良いか」というものです。
第3章、第5章、第18章で形を変えて質問し続けます。
アルジュナの議論の全ては、このサードゥになるという目標に向けられていました。
アルジュナは、仮に戦争に勝って王国を得たとしても、その喜びは血に染められると確信していました。
彼にとって、師や親族が死に至る光景、その記憶が、彼が経験するであろうどんな喜びも汚し、王として得られる権力、富、そしてそれに伴う喜びや幸せなど欲しくないと述べて、勝利を望まない理由を締めくくりました。
アルジュナはここで自身の混乱を全て打ち明けました。
次に、クリシュナはついにアルジュナのこの複雑な状況に対して、本格的な教えを説き始めます。
