千葉県立 青葉の森公園近くの小さなヨガ教室

ギーターヨーガ

ヨガ 勉強会  個人レッスン・出張ヨガ 私について ブログ アクセス スケジュール・予約 お問い合わせ

【ギーター】第2章5番目の詩

गुरूनहत्वा हि महानुभावान् श्रेयो भोक्तुं भैक्ष्यमपीह लोके।

हत्वार्थकामांस्तु गुरूनिहैव भुञ्जीय भोगान् रुधिरप्रदिग्धान् ॥२.५॥

gurūn ahatvā hi mahānubhāvān śreyo bhoktuṃ bhaikṣyam api iha loke |

hatvā artha kāmān tu gurūn iha eva bhuñjīya bhogān rudhirapradigdhān ||2.5||

偉大な師を殺すくらいなら この世界で物乞いになった方がよい

もし彼らを殺すなら この世界で体験する安全や喜びは 血で染まったものとなりましょう[2-5]

-

アルジュナは、深く尊敬する祖父ビーシュマと、師ドローナら親族を殺してまで王国を手に入れるくらいなら、施し[bhikṣā]で生きる方がましだとクリシュナに告げました。

他者に負担をかけないよう、少しずつ食べ物を集める施しの生活は、サードゥやブランマチャーリーにのみ許された生き方です。

アルジュナは、既に父親であり、祖父でもあるためブランマチャーリーにはなれません。

そのため、彼の考えは、サードゥの生き方へと完全に変化していました。

この「戦場を去り、森で物乞いの生活を送りたい」というアルジュナの願いは、彼が『ギーター』の中で何度も問いかける根本的な疑問のベースです。

その質問とは、「カルマ・ヨーガとサンニャーサのどちらが良いか」というものです。

第3章、第5章、第18章で形を変えて質問し続けます。

アルジュナの議論の全ては、このサードゥになるという目標に向けられていました。

アルジュナは、仮に戦争に勝って王国を得たとしても、その喜びは血に染められると確信していました。

彼にとって、師や親族が死に至る光景、その記憶が、彼が経験するであろうどんな喜びも汚し、王として得られる権力、富、そしてそれに伴う喜びや幸せなど欲しくないと述べて、勝利を望まない理由を締めくくりました。

アルジュナはここで自身の混乱を全て打ち明けました。

次に、クリシュナはついにアルジュナのこの複雑な状況に対して、本格的な教えを説き始めます。