千葉県立 青葉の森公園近くの小さなヨガ教室

ギーターヨーガ

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【ギーター】第2章13番目の詩

देहिनोऽस्मिन् यथा देहे कौमारं यौवनं जरा ।
dehino asmin yathā dehe kaumāraṃ yauvanaṃ jarā |

तथा देहान्तरप्राप्तिर्धीरस्तत्र न मुह्यति ॥२.१३॥
tathā dehāntaraprāptir dhīras tatra na muhyati ||2.13||

この体に住む人[jīva]は 子供時代、青年期、老年期がある様に
また別の体を得ますが それに賢者は悲しみません[2-13]

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クリシュナは、肉体が経験する少年期、青年期、老年期という3つの状態を通じて、ātmāの不変性を説明しています。

例えば、少年期から老年期へと肉体は変化しても、「私」という認識は同じであり、揺らぐことがありません。

それぞれの肉体の状態は訪れては去りますが、ātmāは常に同じままであり、決して滅びることはありません。

肉体が7年ごとに大きく変化すると言われるように、見た目は変わっても、その中に住むātmāは同じなのです。

これらの状態の変化は、ātmāの誕生や死を意味するものではありません。

同じātmāが、人生の全ての経験を通して変わらず存在し、少年期、成人期、老年期の全てを見ています。

過去の記憶が現在の自分と繋がっているのは、ātmāが不変だからです。

人間が過去の幼少期の記憶をほとんど持たないように、過去生を覚えていないことも、同様に多くの問題から私たちを守っていると述べられています。

しかし、記憶があろうとなかろうと、ātmāは同じです。

したがって、ātmāの視点から見れば、自らが消滅するという悲しみの理由は存在しません。

jīvaの視点から見ても、自分がいつかいなくなってしまうという錯覚に陥る必要はありません。

jīvaは体を持っていようといまいと存在し続け、ātmāである「私」は時間にとらわれません。

新しい体を得ることは、より良い新しい出発の機会を与えてくれるものです。

◎賢い人は悲しみを持たない

賢い人は、ātmāan-ātmāの知識を持っているので、悲しむような問題はありません。

彼らは、変わらないものは変えられず、変わるものは止めることができないという事実を知っています。

何が「リアル[ātmā]」で、何が「リアルでない[an-ātmā]」かを知っているため、事実が明らかになった時に悲しみは生じません。