यं हि न व्यथयन्त्येते पुरुषं पुरुषर्षभ ।
yaṃ hi na vyathayanti ete puruṣaṃ puruṣarṣabha |
समदुःखसुखं धीरं सोऽमृतत्वाय कल्पते ॥२.१५॥
samaduḥkhasukhaṃ dhīraṃ saḥ amṛtatvāya kalpate ||2.15||
人間の中で一際目立つ人よ 苦楽を同じに見て それに影響されず
見極める能力がある人は 自由を得るに値します[2-15]
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この詩で、クリシュナがアルジュナを「puruṣa-rṣabha」と呼んだのは、彼が「人々の中の雄牛」、すなわち「最も優れた人」「最高の男」であることを意味しています。
雄牛が群れの中で際立つように、アルジュナはその輝き[tejas]と偉大な業績によって、人間の中で最も高貴で目立つ存在でした。
「何が何たるかを見極めた人」は、心地よい状況であろうと不快な状況であろうと、対極的なものに影響されません。
そのような人は、すべての状況が「来ては去る」、つまり絶えず変化するものであると理解しています。
シャンカラの解説によれば、これは単なる実用主義ではなく、賢者は自分自身が、どのような状況にも影響されないātmāであると知っています。
このような、見極めている人[dhīra]は、永遠の自分自身[nitya-ātmā]の知識を持っています。
前の詩で使われた賢者[paṇḍita]という言葉が、ここでは「dhīra」に置き換えられています。
dhīraは対極的なものに影響されず、自由[mokṣa]またはamṛtatvaを得る人とされます。
ここでいうamṛtatvaとは、死(移り変わり)から自由であることを意味します。
ātmāを永遠なるものとして知ることで、賢者はmokṣaを得るのです。