【ギーター】第2章18番目の詩①
2018/02/24
अविनाशि तु तद्विद्धि येन सर्वमिदं ततम् ।
avināśi tu tadviddhi yena sarvamidaṃ tatam |
विनाशमव्ययस्यास्य न कश्चित्कर्तुमर्हति॥२.१७॥
vināśamavyayasyāsya na kaścitkartumarhati||2.17||
永遠不滅で プラマーナで知られず
体を支える人にとって
その支える体は終わりあるものである
故にバラタの子孫よ 戦え![2-18]
–
わたし[アートマー]はイーシュワラを含む
誰も滅ぼす事は出来ないということ
サットヴァストゥが明らかとなりました。
私達は、考えに移る世界を「本当の事」と見ますが
よく見るならその認識は
3つのレヴェルのリアリティーからなる認識です。
◎3つのリアリティー
1.主観的なリアリティー[プラティバーシカ]
2.客観的なリアリティー[ヴャヴァハーリカ]
3.これらを支えるリアリティー[パラマールティカ]
—
サットとアサットの間には
関わり[ヴャヴァハーリカ]がありません。
土であるサットと、器であるアサットの間に
関わりがない様に。
そこには、ただ土があります
つまり存在[サット]があるだけです。
あなたが「これは体です」と言う時
正確に言うとそれは何ですか?
骨格ですか?皮膚ですか?
肉ですか?血液ですか?
細胞ですか?DNAですか?
体と呼べるものは1つもありません。
それら全てのものが、合わさったものが体です。
また別の方法で見るなら
鉱物やカルシウムやリンに他なりません。
それぞれの構成要素が
多くの他のものに頼っているので
肉体はアサットです。
ヴェーダーンタのモデルによれば
5つの要素「空間、風、火、水、土」です。
どの様に肉体を見ようとも、それはアサットです。
この詩で3つの事実が伝えられました。
「肉体は無数で、わたしは1つである」
「わたしに終わりはなく、全ての体の後ろに”在る”ということ」
「滅ぼされ得ないということ」
いつも存在するわたしが、アートマーです。
–
「すべきことをしなさい、戦いなさい」
クリシュナ神は、と言いました。
アルジュナがすべきことは
この世界の秩序[ダルマ]を守ることでした。
2つの破壊[ナーシャ]があり得ます。
比較上の意味の破壊と、完全な破壊です。
同様に、比較上と完全な永遠があります。
この詩の中で使われている、永遠[ニッテャ]と
破壊されないもの[アナーシー]は
死や時間から絶対的に自由なものを意味しています。
知られる事がないもの[ア・プラメーヤ]という
もう1つ別の形容詞が使われます。
◎知る[プラマー(प्र + मा pra + mā)]
1.知る主体[プラマートゥル(प्रमातृ pramātṛ)]
2.知られる対象[プラメーヤ(प्रमेय prameya)]
3.知る手段[プラマーナ(प्रमान pramāna)]
—
◎知る手段[プラマーナ]
1.知覚(5つの感覚器官)
①五感[プラッティヤクシャ]
②サークシー・プラッティヤクシャ(空腹感etc)
2.知覚から得たデータが元
①推理[アヌマーナ]
②推測[アルターパッティ]
③例え話[ウパマーナ]
④無いことの理解[アヌーパラブディ]
⑤言葉[シャブダ]
a. 人の思考からの言葉[パウルシェーヤ]
b. 人の思考からではない言葉[アパウルシェーヤ]
プラマーナの条件
1.他のプラマーナと相反してはならない[अबाधितम्]
目の前の器が2つに見えるが、触ったら1つ
視覚と触覚が相反している
視覚プラマーナである視覚の欠陥を
メガネなどで補正する必要がある
2.他のプラマーナとかぶらない [अनधिगतम्]
目は、色・形を明かすもの
耳は、音を明かすもの
それぞれのエリアでそれぞれのプラマーナがある
3.プラマーナを使う人にメリットをもたらす[फलवत्त्वम्]
これは、言葉[シャブダ]・プラマーナの必要条件
聞き手の役に立つ新しい情報を
提供するものであること
—
どの様な、知られる対象[プラメーヤ]も
永遠ではない[ア・ニッテャ]です。
知られる物は全て、ただ時間と空間の枠の中にあります。
土で出来た器は、わたしに見られる物で
それは、毎秒変化していることを意味します。
それは、決して同じものでありません。
時間は、変化をもたらす要素なのです。
わたしは、知る対象になり得ません。
わたし[アートマー]が知る対象ではないのに
なぜ、わたしを知る為に学ぶのでしょう?