2018/03/10
य एनं वेत्ति हन्तारं यश्चैनं मन्यते हतम् ।
ya enaṃ vetti hantāraṃ yaścainaṃ manyate hatam |
उभौ तौ न विजानीतो नायं हन्ति न हन्यते ॥२.१९॥
ubhau tau na vijānīto nāyaṃ hanti na hanyate ||2.19||
自分自身を殺す者だと考える人も
殺される物だと考える人も
両者が知らない
自分自身は、殺しも殺されもしない[2-19]
-
この詩は、カタ・ウパニシャド第1部2章19節から引用されています。
हन्ता चेन्मन्यते हन्तुं हतश्चेन्मन्यते हतम् ।
उभौ तौ ना विजानीतो नायं हन्ति न हन्यते॥१-२-१९॥
-
「シュルティは、知識の道具[プラマーナ]で
それは証言と同じ意味を持ちます。
バガヴァーンクリシュナが、述べてきた事サポートする為
カタ・ウパニシャドから2つの詩を取り上げます。」
この様に述べ、シャンカラはこの詩の解説をはじめます。
ある世代から次の世代へと
聞いて受け継がれたもの
それがシュルティ[श्रुति]と呼ばれ
誰からの考えに生まれたものが
スムルティ[स्मृति]と呼ばれます。
クリシュナはカタ・ウパニシャドの詩を引用し
自分自分は、誰かを傷つけ、滅ぼすという
行いの主体でもなければ
誰かに、傷つけられる行いの対象でもない。
イーシュワラですらわたしを滅ぼすことが出来ない。
完全に、行いと結果から自由な存在
それが本来のわたし[アートマー]だと教えます。
知識により、全ての行い[カルマ]を手放した人は
どんな行いもしません。
人の持つ「私は行いをする人」という観念は
賢者とてあります。
賢者、知識を得た行い手は、行いをしますが
私は行い手[カルター]ではない
その事を知る人です。
クリシュナが話していようと
ヴャーサが書いていようと
シャンカラが解説していようと
知識を得た人が何をしようとも
そこには行い手[カルター]がいます。
しかし、自分をカルターとして見ていない人
知識を得たカルターがいます。
私は行い手という観念、エゴ[アハンカーラ]は
恐れる様なものではなく
すべき事は、わたし[アートマー]を行いをする人
としてしまう、無知を取り除く事だけです。
私自身は世界に影響される者です
この世界は、私には余りにも耐えがたい
と考える人は、わたしを理解していません。
世界はあなたにとって耐えがたい事はありません。
世界はあなたであり
そして、あなたは世界から自由です。
①イーシャ・バーシャー・ウパニシャド
②ケーナ・ウパニシャド
③カタ・ウパニシャド
④ムンダカ・ウパニシャド
⑤マーンドゥキャ・ウパニシャド
⑥タイティーリヤ・ウパニシャド
⑦チャーンドギャ・ウパニシャド
⑧ブルハダーランヤカ・ウパニシャド
⑨プラシナ・ウパニシャド
⑩アイタレーヤ・ウパニシャド