2018-04-08

【ギーター】第2章20番目の詩

2018/04/07

न जायते म्रियते वा कदाचिन्नायं भूत्वा भविता न भूयः ।

na jāyate mriyate vā kadācinnāyaṃ bhūtvā bhavitā na bhūyaḥ |

अजो नित्यः शाश्वतोऽयं पुराणो न हन्यते हन्यमाने शरीरे ॥२.२०॥

ajo nityaḥ śāśvato’yaṃ purāṇo na hanyate hanyamāne śarīre ||2.20||

これ(わたし)は決して生まれず、死ぬこともない 

ずっと存在し、再び存在しなくなることもない

これ(わたし)は生まれていないし、永遠で

どんな変化も体験せず、いつも新しいもの

肉体が滅びる時も滅びない[2-20]

この詩はトリシュトゥブ韻律(11,11,11,11)

カタ・ウパニシャド第1部2章18説から

ほぼそのままの形で引用されています。

न जायते म्रियते वापश्चित् नायं कुतश्चिन्न बभूव कश्चित् ।
अजो नित्यः शाश्वतो यं पुराणः न हन्यते हन्यमाने शरीरे ॥१-२-१८॥

アートマーは、変化しないもの[アヴィックリヤーअविक्रिया]なので

どんな行いもしないし、行いの対象でもありません。

行為が為される為には

行為をする人に何かしら変化があり

その対象物は、何であれ同じには留まりません。

例えば、”水が温められる”とは

その行為の対象ですが、その後同じではありません。

もし、わたし[アートマー]が変化するものであるなら

それは、主体にも対象にもなる事が可能ですが

アートマーは、どの様な変化も請け負わず

主体、客体にカテゴライズされ得ません。

クリシュナは2つのポイントを主張します。

アートマーは、生まれないし、死にもしもない

誕生や、死の様な変化はありません。

多くの誕生があります。

例えば、器は、以前は在りませんでしが

後に存在するようになりました。

あるいは、以前は違う形をしていて

今は別の形をしています。

例えば、種の形をしていたものが

今は植物の形をしています

芽を吹いて、新しいものが生まれます。

ただただ形が変化しただけです。

つまり、存在していないものから

存在への誕生はありません。

また、ある形で存在していて

別の形を装うという誕生もありません。

アートマーは全く変化を体験しません

生と死はないということです。

又、アートマーは再び存在しなくなるものではありません。

この『再び』とは何でしょう?

死というものは、「ある物がずっと存在していて

もう存在しなくなる」という事です。

この様な状況はアートマーにはありません。

以前、アートマーは在って、今も在り

これからもずっと同じ様に在り続けます。

この詩でアートマーを説明しているもう1つの言葉

プラーナ・पुराण は、一般的には太古という意味ですが

ここでは「いつも新鮮であるもの・ever fresh」を表しています。

以前は、新鮮であったアートマーは

今も新鮮で、いつも新鮮です。

時間に捕らわれず、肉体が滅びる時ですら

アートマーは滅びません。

反対に、肉体は変化の対象です。

私はこんなものという観念を持つエゴ[アハンカーラ]が

行いをする時、エゴの意図と一致しながら

行いを行うのはその肉体です。

足が動き、手が動き、体がある程度伸び縮みし

多くの変化を体験します。

体験するだけでなく、変化する為にあります

肉体における6つの変化

1.発生[アスティ・अस्ति]

2.誕生[ジャーヤテー・जायते]

3.成長[ヴァルダテー・वर्धते]

4.変化[ヴィパリナマテー・विपरिणमते]

5.老い[アパクシーヤテー・अपक्षीयते]

6.崩壊[ヴィナッシャティ・विनश्यति]

理解不足の為、この6つの変化を伴う肉体と

アートマーが一緒にされます。

アートマーは、本質的な属性として

肉体を持つと考えられています。

ですから、わたしが肉体と同様になってしまいます。

必要な見極めは、「肉体は変化の対象ですが

アートマーはそうではない」ということ。

肉体にとっての最初と最後の変化

生と死は、この詩によって否定されます。

シュルティから引用された2つの詩の意味は

アートマーは、どんな変化からも

自由であるということです。

また、アートマーも行いを演じることでの

変化を体験することもありません。

では、悲しみ[アショーチャ]は何処にありますか?

それは、アートマーを身体や考えだという混乱からです。

満足[アーナンダ]であるアートマーは

悲しむ理由のないもの[アショーチャ]です。

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