2018-04-30

【ギーター】第2章21番目の詩①

2018/04/28

वेदाविनाशिनं नित्यं य एनमजमव्ययम् ।

vedāvināśinaṃ nityaṃ ya enamajamavyayam |

कथं स पुरुषः पार्थ कं घातयति हन्ति कम् ॥२.२१॥

kathaṃ sa puruṣaḥ pārtha kaṃ ghātayati hanti kam ||2.21||

プルターの息子よ。これ(自分自身)を不滅で、時間に捕らわれず

生まれないもの、そして老いないものと知っている人が

どのように、誰を殺しますか?

また、殺すことを強いるのですか?[2-21]

前の詩で見たように、アートマーは

殺しもしないし、殺されもしません。

[ナ ハンティ、ナ ハンニャテー]

アートマーは、殺すという行い[ハナナ クリヤー]を含む

あらゆる行い[クリヤー]の主体、対象でもありません。

その理由は、アートマーが変化するものではない

とクリシュナは説明しました。

肉体の6つの変化を持たず

生まれない[アジャ]

そしてどんな種類の衰えも体験しない[アッヴャヤ]

死や破壊の対象ではない[アヴィナーシ―]

時間に捕らわれないもの[ニッテャ]

であると結論付けました。

この詩で、クリシュナはもう1つの要点を尋ねました。

その人は、誰を滅ぼすのでしょうか[カム ハンティ]

その人は、誰に殺させるのでしょうか[カム ガータヤティ」

ここで述べられた行いには2種類あり

1つはあなたがする行い

もう1つは、あなたが他の人に望んでさせる行いです。

2人とも行いをします。

理解すべき事は、アートマーは

どんな行いもしないし、望むことすらしません。

殺しもしないし、他の誰かに殺させたりしません。

アートマーは全ての願望の本質[スヴァルーパ]です。

願望は名前と形[ナーマルーパ]、考えで

その考えを絞り込むなら、アートマーに行き着きます。

そこには、どこにも考えなどありません。

あらゆる考えや欲望はミッテャーで

行いをする人という観念もまたミッテャーです。

行いをする人は、誰なのか分析すると

行いをする人は、意識[チャイタンニャ]に他なりません。

行いをする人は、意識の中に消えてしまい

そこには全くいないということです。

行いをする人がある時、意識はありますが

その意識の中に、行いをする人はありません。

ただドラマがあるだけです。

本当の行い手ではなく

ただ「まるで」行い手がいるだけです。

「まるで」聞き、「まるで」話し、

「まるで」歩き、「まるで」立ちます。

アートマーはいつも自由で

アートマーにおいて、行い手は全くありません。

「私は行いをする人である」という

その観念が行いの源です。

行い手[カルター]なしに、行い[カルマ]などありません。

行いをする人であるという観念[カルトゥルットヴァ]なしに

本当の行いなど全くありません。

この行いをする人であるという観念は

行いが行いであるために

体験する結果[カルマパラ]が、カルマパラである為に

必要な、血、骨、そして肉を与えるものです。

この全サイクルが、中心人物である

行い手[カルター]に基づいています。

疑問が起こるかもしれません。

全ての行いを手放した人[サルヴァ・カルマ・サンニャーシー]は

どんな行いも全く行わないのでしょうか?

サルヴァ・カルマ・サンニャーシーは

”私は行いをする人である”

という観念を持っていない人です。

その人には、アートマーにおける

行い手の観念はありません。

単に行い[カルマ]をしないことが

サルヴァ・カルマ・サンニャーシーではありません。

例え、どんな行い[カルマ]もしないとしても

”私は行いをする人である”という観念があるなら

サムサーリーです。

サルヴァ・カルマ・サンニャーシーは

知識[ジニャーナ]で、全ての行い[カルマ]から

完全に自由な人です。

もし何か行い[カルマ]が為されても

ニャーニーにとって起こっている事は

考えに支えられた感覚器官が

それぞれの活動エリアにただ従事していることです。

ニャーニーは、自分自身を行い手[カルター]と見てはいません。

これがサルヴァ・カルマ・サンニャーシーの本当の意味です。

その人は知識を持つ人[ヴィッドヴァーン]と呼ばれます。

この特別な発見の中に、全ての祈りが実り

この発見の為だけに、祈りや、行いが為されました。

カルマヨーガはこの為だけにあります。

ジャナカ王という王様は、

知識を得た人と見なされていましたが

王国の統治者という役割があり

その役割に悩まされてはいませんでした。

ジャナカ王の様に、知識を得ていながら

社会の中で生きていくことも出来ますし

人生の4つ目のステージを生きる人[サンニャーシー]

どちらの生き方も可能です。

ニャーニーは、どんな行いをしようがしまいが

その行いに影響されたりしません。

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