2018-05-27

【ギーター】第2章22番目の詩

2018/05/26

वासांसि जीर्णानि यथा विहाय नवानि गृह्णाति नरोऽपराणि ।

vāsāṃsi jīrṇāni yathā vihāya navāni gṛhṇāti naro’parāṇi |

तथा शरीराणि विहाय जीर्णान्यन्यानि संयाति नवानि देही ॥२.२२॥

tathā śarīrāṇi vihāya jīrṇānyanyāni saṃyāti navāni dehī ||2.22||

ちょうど人が古い服を捨て

新しい服を手に入れるように

体を持つ人は古い体を捨て

別の新しいものを手に入れます。[22]

ナラという言葉は、人間または

語源的には「滅ぼされないもの」という意味です。

知識を得たら、その人は永遠のブラフマンとして

永遠に生き続けるでしょう。

もしそうでなければ、その人は単に

生きているに過ぎません。

ここで使われた例え話は、新しい服、またはもっとよい服の為

古い服を捨てることです。

同様に古い体[シャリーラ]は捨てられ新しい体が得られます。

シャリーラという言葉は、崩壊の対象であるものという意味です。

体は自然な老化、病気、または酷使のため

やがて役に立たなくなります。

それらが役に立たなくなると

あなたはそれらを捨て、新しいものを手に入れます。

このサイクルが何度も繰り返されます。

同様にこの体に住む人であり、この体を着る人がいます。

体に住む人[デーヒー]、”〇〇さん”と呼べる人がいます。

その人が新しい服を手に入れます。

アートマーはニッテャで、死にません。

いつも生き続けます。

例え、ジーヴァットヴァが死ぬ時ですら

ジーヴァは死にません。

その観念だけが死ぬのです。

決して主体であるアートマーそのものが消えたりしません。

体に宿る人[デーヒー]は、存在し続けます。

古い体はもはや役には立たないので

人はそれを手放します。

しかし、癌などで若くしてに亡くなっていく人々を

見る事を考慮に入れると

この例は、全ての場合に当てはまらなそうです。

誰かの過ち、不注意などによる事故

自由意志を悪用し、殺人で亡くなることもあります。

例えば銃弾は肉体[ストゥーラシャリーラ]を破壊することができます。

肉体が破裂すると、微かな体[スークシュマシャリーラ]は

もはやその中で生きることが出来ません。

車が動くために、点火プラグ等

いくつかの物を必要とする様に

スークシュマシャリーラが物理的な体の中で働く為に

必要最低限の物があります。

例えば心臓と腎臓がなければなりません。

これらが破裂したら、肉体は年齢に関わらず役に立ちません。

昨日買ってきた新しい車が、今日壊れる事もあります。

同様にこの肉体も壊れるかもしれません。

体に宿る人[デーヒー]は、新しい体が探されなければなりません。

若い人が、白血病や、ある未知の理由で亡くなる時

その人はこの病気を起こす様な

何か悪いことをしたのか?などと

私達は言うことはできません。

1つや2つ悪いことをしたかもしれませんが

癌になる為に十分なことではありません。

乳児の突然死、エネルギッシュな人々が心臓発作で亡くなります。

肉体はまだ使い古されていないのに

なぜこの様に死ぬのでしょう?

神さまの意思や他の理由のためではなく

その人自身のカルマの為に

この体にやって来たに違いありません。

私達は自分自身の人生で

この特別な運命を求めたということでしょう。

神とは法則です。

私達はそれを求め、それを得ました。

神様は言うのです。

「私があなたを創った人ですが、同時に私はあなたを創ってはいません」と。

あなたが火の中に指を入れ、火に尋ねているようなものです。

「あなたは私を燃やしましたね?」

「はい、私はあなたを燃やしました」

火は言います。

「なぜですか?」

「私はあなたを燃やしてなどいません」

火が答えます。

「あなたはたった今、私を燃やしたと言ったのに、燃やしていないなどと両方を言うのですか?気まぐれで定まった考えがないのですか?あなたは熱い息を吹くだけだと思っていましたが、熱くも冷たくも吹くのですね。どうしてそんな気まぐれなのですか?」

「あなたが私に指を突っ込んだ時私は燃やしました。燃やすことは私の本質[スヴァルーパ]で、私は燃やしました。誰かほかの人が燃やしたと言えません。私があなたの指を燃やしました。けれども私はあなたの指を追いかけてませんせしたよね?私は私の場所に居ました。あなたが私に指を突っ込んで火傷したのです。あなたがそれを求めたのです。」

これが法則、カルマの法則です。

個人として肉体を持って生まれてくる原因は過去の行いで

その結果として人は再び結果を実らせるに

適した肉体を持って生まれてくるのです。

[プラーラブダ・カルマ]

肉体を生き延びる魂を受け入れるなら

あなたが直面する様々な状況を

必ず考慮に入れなければなりません。

この様にプラーラブダ・カルマは

人[デーヒー]が仕事を終えると滅びてしまう

特定の体[デーハ]を持つ理由です。

新しいか古いかは、あなたによってではなく

デーヒーによって決められているに違いありません。

個人(傍観者)から見れば

死の準備はできていないかもしれませんが

デーヒーから見れば、その肉体の仕事は終わっています。

本人、他の誰かの自由意志の乱用という

間違った行いによって引き起こされた死でない限り

肉親に先立たれた人々はまさにその死を

何か早すぎるものとして見るかもしれませんが

それはデーヒーの立場から見たものではありません。

肉体の仕事がいつ終わったのか

肉体が持たれた目的がいつ達成されたのか

それを決めるのはデーヒーです。

人が新しい服を得て、古い物を手放すように

体に宿るジーヴァは古い体を手放し、新しい体を得ます。

肉体に宿る人[デーヒー]にとって

死というものはありません。

肉体は時間に捕らわれ、変化するもので

常に変化し続けます。

肉体が変化しない時などありません。

シャリーラやデーハと呼ばれます。

デーハとは火葬されるものという意味で

シャリーラとは崩壊するもの、埋葬されるものという意味です。

肉体はいつも死の対象で、常に死に続けています。

それは突然、ある晴れた日に死ぬというのではなく

むしろ死に続けています。

あなたはそれを止めることは出来ません。

しかし、デーヒーの場合、あなたはそれを滅ぼすことが出来ません。

2つの事実がはっきりと理解されるなら

悲しみの理由などありません。

「悲しみの原因がない」というのがギーターの宇宙観です。

関連記事