2018/05/26
वासांसि जीर्णानि यथा विहाय नवानि गृह्णाति नरोऽपराणि ।
vāsāṃsi jīrṇāni yathā vihāya navāni gṛhṇāti naro'parāṇi |
तथा शरीराणि विहाय जीर्णान्यन्यानि संयाति नवानि देही ॥२.२२॥
tathā śarīrāṇi vihāya jīrṇānyanyāni saṃyāti navāni dehī ||2.22||
ちょうど人が古い服を捨て
新しい服を手に入れるように
体を持つ人は古い体を捨て
別の新しいものを手に入れます。[22]
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ナラという言葉は、人間または
語源的には「滅ぼされないもの」という意味です。
知識を得たら、その人は永遠のブラフマンとして
永遠に生き続けるでしょう。
もしそうでなければ、その人は単に
生きているに過ぎません。
ここで使われた例え話は、新しい服、またはもっとよい服の為
古い服を捨てることです。
同様に古い体[シャリーラ]は捨てられ新しい体が得られます。
シャリーラという言葉は、崩壊の対象であるものという意味です。
体は自然な老化、病気、または酷使のため
やがて役に立たなくなります。
それらが役に立たなくなると
あなたはそれらを捨て、新しいものを手に入れます。
このサイクルが何度も繰り返されます。
同様にこの体に住む人であり、この体を着る人がいます。
体に住む人[デーヒー]、”〇〇さん”と呼べる人がいます。
その人が新しい服を手に入れます。
アートマーはニッテャで、死にません。
いつも生き続けます。
例え、ジーヴァットヴァが死ぬ時ですら
ジーヴァは死にません。
その観念だけが死ぬのです。
決して主体であるアートマーそのものが消えたりしません。
体に宿る人[デーヒー]は、存在し続けます。
古い体はもはや役には立たないので
人はそれを手放します。
しかし、癌などで若くしてに亡くなっていく人々を
見る事を考慮に入れると
この例は、全ての場合に当てはまらなそうです。
誰かの過ち、不注意などによる事故
自由意志を悪用し、殺人で亡くなることもあります。
例えば銃弾は肉体[ストゥーラシャリーラ]を破壊することができます。
肉体が破裂すると、微かな体[スークシュマシャリーラ]は
もはやその中で生きることが出来ません。
車が動くために、点火プラグ等
いくつかの物を必要とする様に
スークシュマシャリーラが物理的な体の中で働く為に
必要最低限の物があります。
例えば心臓と腎臓がなければなりません。
これらが破裂したら、肉体は年齢に関わらず役に立ちません。
昨日買ってきた新しい車が、今日壊れる事もあります。
同様にこの肉体も壊れるかもしれません。
体に宿る人[デーヒー]は、新しい体が探されなければなりません。
若い人が、白血病や、ある未知の理由で亡くなる時
その人はこの病気を起こす様な
何か悪いことをしたのか?などと
私達は言うことはできません。
1つや2つ悪いことをしたかもしれませんが
癌になる為に十分なことではありません。
乳児の突然死、エネルギッシュな人々が心臓発作で亡くなります。
肉体はまだ使い古されていないのに
なぜこの様に死ぬのでしょう?
神さまの意思や他の理由のためではなく
その人自身のカルマの為に
この体にやって来たに違いありません。
私達は自分自身の人生で
この特別な運命を求めたということでしょう。
神とは法則です。
私達はそれを求め、それを得ました。
神様は言うのです。
「私があなたを創った人ですが、同時に私はあなたを創ってはいません」と。
あなたが火の中に指を入れ、火に尋ねているようなものです。
「あなたは私を燃やしましたね?」
「はい、私はあなたを燃やしました」
火は言います。
「なぜですか?」
「私はあなたを燃やしてなどいません」
火が答えます。
「あなたはたった今、私を燃やしたと言ったのに、燃やしていないなどと両方を言うのですか?気まぐれで定まった考えがないのですか?あなたは熱い息を吹くだけだと思っていましたが、熱くも冷たくも吹くのですね。どうしてそんな気まぐれなのですか?」
「あなたが私に指を突っ込んだ時私は燃やしました。燃やすことは私の本質[スヴァルーパ]で、私は燃やしました。誰かほかの人が燃やしたと言えません。私があなたの指を燃やしました。けれども私はあなたの指を追いかけてませんせしたよね?私は私の場所に居ました。あなたが私に指を突っ込んで火傷したのです。あなたがそれを求めたのです。」
これが法則、カルマの法則です。
個人として肉体を持って生まれてくる原因は過去の行いで
その結果として人は再び結果を実らせるに
適した肉体を持って生まれてくるのです。
[プラーラブダ・カルマ]
肉体を生き延びる魂を受け入れるなら
あなたが直面する様々な状況を
必ず考慮に入れなければなりません。
この様にプラーラブダ・カルマは
人[デーヒー]が仕事を終えると滅びてしまう
特定の体[デーハ]を持つ理由です。
新しいか古いかは、あなたによってではなく
デーヒーによって決められているに違いありません。
個人(傍観者)から見れば
死の準備はできていないかもしれませんが
デーヒーから見れば、その肉体の仕事は終わっています。
本人、他の誰かの自由意志の乱用という
間違った行いによって引き起こされた死でない限り
肉親に先立たれた人々はまさにその死を
何か早すぎるものとして見るかもしれませんが
それはデーヒーの立場から見たものではありません。
肉体の仕事がいつ終わったのか
肉体が持たれた目的がいつ達成されたのか
それを決めるのはデーヒーです。
人が新しい服を得て、古い物を手放すように
体に宿るジーヴァは古い体を手放し、新しい体を得ます。
肉体に宿る人[デーヒー]にとって
死というものはありません。
肉体は時間に捕らわれ、変化するもので
常に変化し続けます。
肉体が変化しない時などありません。
シャリーラやデーハと呼ばれます。
デーハとは火葬されるものという意味で
シャリーラとは崩壊するもの、埋葬されるものという意味です。
肉体はいつも死の対象で、常に死に続けています。
それは突然、ある晴れた日に死ぬというのではなく
むしろ死に続けています。
あなたはそれを止めることは出来ません。
しかし、デーヒーの場合、あなたはそれを滅ぼすことが出来ません。
2つの事実がはっきりと理解されるなら
悲しみの理由などありません。
「悲しみの原因がない」というのがギーターの宇宙観です。