नैनं छिन्दन्ति शस्त्राणि नैनं दहति पावकः ।
nainaṃ chindanti śastrāṇi nainaṃ dahati pāvakaḥ |
न चैनं क्लेदयन्त्यापो न शोषयति मारुतः॥२.२३॥
na cainaṃ kledayantyāpo na śoṣayati mārutaḥ||2.23||
武器がこれ(自分自身)を切ったり、火がこれを燃やしたりしません。
水がこれを濡らしたり、風がこれを乾かしたりもしません[23]
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16番目の詩、20番目の詩で、真実[サット]である自分自身にとって、存在がないことなどないとクリシュナは述べました。
どの時間においても(現在、過去、未来)、私は否定の対象ではありません。
否定の対象でないもの[アバーディタム サッテャム]は、否定され得ないし、真実[サッテャ]は否定の対象ではないので、この発言が揺るがされることはありません。
「私はいない」などと誰も言えませんから、自身を否定する事は不可能です。
否定することができるものは、サッテャではありません。
否定し続けている人が自分[サッテャ]で、唯一否定出来ないものです。
アートマーにとって、存在がないこと[アバーヴァ]などなく、否定され得ることは「私は限られている」という間違った観念です。
個人[ジーヴァ]の本質[スヴァルーパ]は、否定されることは出来ず、「私は個人[ジーヴァ]である」という観念[ジーヴァットヴァ]だけが否定され得ます。
◎アートマーは破壊できない
手から放たれる武器(石、弾丸、矢)はアストラ、剣の様に手に持つ武器(棒、ハンマー、剣)はシャストラと呼ばれます。
この詩のシャストラは、両方の武器を示しています。
「武器ではアートマーを滅ぼすことが出来ない」とクリシュナはこの詩の最初に言いました。
アートマーが、全てを物として現していますから、アートマーは、いかなる武器を使っても破壊の対象になりません。
全てを現すものが、何らかの物として現されたりできません。
自分自身が全世界を、物として明かしています。
アートマーは、どんな物にも明かされることはありません。
アートマー以外の全てのものは、アートマーのあとに輝いていますから、明かされるものが、明かす人を、明かすことはないのです。
形のない意識、唯一の源が、私[アートマー]で、他の全てのものは、意識の対象物です。
もし意識に心臓があるなら、発作を起こりますが、その様な質は持ってません。
アートマーは「心臓が鼓動している」と気づくもので、全ての対象の主体ですから、武器は、アートマーを殺したりしません。
火は肉体を燃やすせますが、アートマーを燃やせませんし、同様に水が、アートマーを濡らしたり出来ませんし、風もアートマーを乾かす事は出来ません。
◎世界の5元素のモデル
1.空間(आकाशः [ākāśaḥ] アーカーシャ)
2.風(वायुः [vāyuḥ] ヴァーユ)
3.火(अग्निः [agniḥ] アグニ)
4.水(आपः [āpaḥ] アプ)
5.土(पृथिवी [pṛthivī] プリティヴィー)
シャーストラの至る所で見る特別なモデルを見ます。
これらのエレメントは微かな形や、粗い形になり、この世界にある全ての物となります。
微かなエレメントは、考え、感覚器官など、粗いエレメントは物理的な体と、物理的な世界です。
肉体は、5つの粗いエレメントから成ります。
肉体には空間[アーカーシャ]があり、血液には風[ヴァーユ]、すなわち酸素を含んでいます。
肉体は湿度、熱[アッグニ]を持ち、それは構成要素の一部である水[アーパハ]によるものです。
肉体はカルシウム、炭素、マグネシウムなど、土[プルティヴィー]に見られる物と同じ鉱物を含みます。
同じレベルのリアリティに属しているものだけが、お互いに影響を与えあえます。
肉体や武器は同じ物理的な物質で、同じレベルのリアリティに属しているので、武器は、肉体を傷つけ、破壊する事が出来ます。
また、岩の影を犬にぶつける事はできず、物と影は2つの異なる秩序のリアリティに属すので、お互いに交わることがありません。
両方が同じリアリティでなければなりません。
◎破壊の本質
そして、同じ秩序のリアリティに属している物も、お互いに影響しあう必要はありません。
例えば、空間は、4つのエレメントと同じ秩序のリアリティに属しますが、他の4つのエレメントに影響されたり、破壊され得ません。
風は空間を乾かせず、火は空間を燃やせず、水は空間を水浸しに出来ません。
剣や爆弾や、ピストルを使っても空間を破壊することは出来ません。
汚染される事すら有り得ないので、空間汚染などなく、空気や環境が汚染されます。
形のない空間は、他の4つのエレメントでは破壊する事が出来ません。
一方、1つの形が他の形に変わる様な変化、例えば、水素と酸素の原子が結びつき水が生成されます。
どんな構造も変化する事が可能で、全く違う物になる事が出来ます。
「死」という言葉は、何かの方法で変化し、存在しない特有の構造を表す言葉です。
部分、属性、構造を持つものは何であれ破壊され得ます。
空間は、部分、属性、構造がないので、同じレベルのリアリティを共有する他のエレメントによってですら破壊され得ません。
アートマーも、手足などの部分、属性、構造から自由な純粋な意識です。
私はこの世界を捉える、考えを含む、全てのものに気づいています。
この意識、アートマーを捉えることは出来ません。
どんな物も、同じリアリティに属していません。
◎自分自身で明らかなアートマー
アートマーはサッテャです。
アートマーだけが自分自身で明らかで、他の全てのものはアートマーに明かされます。
アートマーは自分自身で輝き、他の全てのものが、アートマーに輝かされます。
自分自身で明らかなものは、その存在を何にも頼ることなく、自分自身で存在しています。
土で出来た器は土に頼っていて、土は埃に、埃は原子に、原子は素粒子に頼っています。
全てのものが、何かに頼っていて、その何か他の物も、コンセプト(考え)に頼っていて、考えは意識に頼っています。
意識だけが何にも頼っていません。
全世界はアサットで、アートマーだけがサットです。
空間、風、火、水、土はアートマーによって存在します。
アートマーはサットで、エレメントはアサット。
私の影が、私をからかったり、破壊したり出来ないように、全てのエレメントが、アートマーを破壊する事が出来ません。
だとしたら、このアートマーは存在しないもの「ゼロ、”無い”」なのでは?
という疑いが起るかもしれませんが、次の詩でその疑いが鎮められます。