अथ चैनं नित्यजातं नित्यं वा मन्यसे मृतम् ।
atha cainaṃ nityajātaṃ nityaṃ vā manyase mṛtam |
तथापि त्वं महाबाहो नैवं शोचितुमर्हसि ॥२.२६॥
tathāpi tvaṃ mahābāho naivaṃ śocitumarhasi ||2.26||
アートマーを生まれ続け、死に続けるものと思うにしても、弓の名手[アルジュナ]よ!
この様にアートマーの為に、あなたは悲しまないはずです
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生まれては死ぬというサイクルは、悲しみに値しないとクリシュナは指摘します。
この詩では、もしアートマーを、肉体のように、永遠でないものとして捉えていたとしても、
ビーシュマや他の人々に、悲しむべき新しい死などなく、死んでいるものは死に続ける。
私達は、ただただ事実を見るだけです。
独裁君主のドゥルヨーダナ、すなわちアダルマが
もし、アルジュナがこの戦争を避けたとて、
アルジュナが止めたくても、
移り変わるものを、移り変わるものとして理解するなら、混乱からの悲しみはありません。
「悲しみがある」その「ある」が私、悲しみから自由なのが私です。
そのことを知るなら、例え悲しみが起きたとて、その悲しみに圧倒されることはありません。