2018-08-08

【ギーター】第2章28番目の詩

2018/08/04

अव्यक्तादीनि भूतानि व्यक्तमध्यानि भारत ।

avyaktādīni bhūtāni vyaktamadhyāni bhārata |

अव्यक्तनिधनान्येव तत्र का परिदेवना ॥२.२८॥

avyaktanidhanānyeva tatra kā paridevanā ||2.28||

全ての存在するものは、はじめ現れておらず

途中で現れ、最後に(再び)現れていない

実際何を悲しむ事があるのだろうか、バーラタよ![28]

元素を含む、全ての生き物のはじまりは知られていません。

それらは知覚出来ず、以前それらが何であったのか

又、死後それらに何が起こるのかを知りません。

私達は、誕生と死の間の事だけを知っています。

それは、飛んでいる弓矢の様です。

暗闇[アッヴャクタ]から現れ

照らされた部分[ヴャクタ]を通り過ぎ

再び瞬間、アッヴャクタの中に消えて行きます。

これが人生というものの全てです。

人生は、誕生と死の間を旅する、動いている矢の様で

ただ通り過ぎ、いつも動いています。

この動いている矢に悲しむ事がありますか?

どちらにしても、それをあなたは止める事は出来ません。

いつも永遠であるものは、いつもそこにあり

その間に何らかの人生ミッテャーがあります。

「ある」は、悲しみの対象ではなく

それはリアリティ、真実、サッテャで

限りのないアーナンダです。

全く悲しみの対象ではありません。

他の何かがあるかもしれなくても

それもまた悲しむ価値はありません。

人はただ、自分自身についての無知ゆえに

嘆き悲しみ続けます。

そして、自分自身を知る為の道具が見つからず

この無知は残ります。

「私はちっぽけで、は取るに足りない」

個人の私は、特定の大きさで、限られた力を持つ人

微生物や、その他の圧倒的に力強いものに対し

私は無力であるという事を知り

これらの力に従わなければならないという事。

全ての事が「私は取るに足りない」

という観念を確かにします。

そしてこの「私」についての

この結論が問題なのです。

嘆き悲しんでいるのは、アルジュナだけではなく

悲しみは万人共通です。

シャンカラの解説の重要性

ギーターは、ウパニシャド聖典[シュルティ]の地位を持ちます。

あらゆる解説は、ヴァーキャーナと呼ばれ

シャンカラの解説は、ヴァーキャーナではなくバーシャです。

バーシャを書いた人は、バーシャカーラと呼ばれ

バーシャを解説した注釈人は、ティーカカーラと言います。

原典にでなく、バーシャ自体に対して

詩の形をした独立した解説は、ヴァールティカと呼ばれます。

そして、ヴァールティカを書く人は、ヴァールティカ・カーラです。

これらのカテゴリー分けに従い伝統[サンプラダーヤ]があり

その中で認められている人達がいます。

例えばヴェーダーンタにおいては

ヴァールティカーラとは、バーシャカーラの4人の弟子の

最年長者であるスレーシュヴァラを意味します。

更にバーシャカーラと言う時

私達はシャンカラを意味しています。

パタンジャリはマハーバーシャカーラとして知られています。

マハーバーシャとは文法に対するパーニニのスートラ

つまりヴャーカラナ・スートラについての解説です。

ティーカカーラは、この伝統の中では大抵

全てのシャンカラの解説に対するティーカーを書いた

アーナンダギリを指しています。

それでは、バーシャカーラとバーシャがそれぞれ

シャンカラとシャンカラの解説

という事を知った上で先に進みましょう。

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