2018/09/29
देही नित्यमवध्योऽयं देहे सर्वस्य भारत ।
dehī nityamavadhyo'yaṃ dehe sarvasya bhārata |
तस्मात्सर्वाणि भूतानि न त्वं शोचितुमर्हसि ॥२.३०॥
tasmātsarvāṇi bhūtāni na tvaṃ śocitumarhasi ||2.30||
全ての生き物達の体に宿っている
このアートマーは永久に破壊出来ません
バーラタの子孫よ!ですからあなたは
これらの者の為に悲しむべきではありません[30]
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11節の”悲しみの理由はない”という
クリシュナの発言をここで要約しました。
アートマーはサットですから、ニッテャです。
誕生、死、変化などの対象ではありません。
デーハの中に、デーハに宿る人[デーヒー]がいて、
ジーヴァ・アートマーと呼ばれるこのデーヒーは
破壊の対象ではありません[ア・ヴァッデャ]。
ア・ヴァッデャは、破壊の対象でないものという意味です。
デーヒーは、破壊の対象ではありません。
それは決して破壊されず、肉体が滅ぼされる時でさえ
アートマーは滅ぼされません。
全ての生き物[サルヴァーニ ブーターニ]に
あなたは悲しむに値しません[トヴァム ショーチトゥム アルハシ]
と、クリシュナはアルジュナに言いました。
アニッテャである肉体[デーハ]が
滅ぼされない事は決してありません。
ニッテャ・アートマーを滅ぼすことも決してありません。
死を元にした悲しみの余地などありません。
あなたに悲しみを引き起こすどんな状況も
永久に続く状況ではないのですから。
スカ・ドゥッカは、来ては去ります。
ドゥッカに中身などなく
実際、ドゥッカを引き起こすのは、それに反応する人の考えです。
肉体的な痛みや、心地よくない状況はあり得ます。
これらは悲しみとは異なります。
ここでは肉体的な痛みではなく、悲しみを扱っています。
悲しみは、独特な考え方です。
悲しみは、あなた自身の中心を成しているもので
このトピックがギーターの主題です。
「あなたは悲しむべきではない[ナ トヴァム ショーチトゥム アルハシ]」が繰り返されます。
クリシュナは、悲しむ理由がないと言った後
同じトピックを他の観点からとりあげます。
実際、全ての可能な観点を余す所なく述べました。
シャンカラは、次の詩を紹介して
絶対的なリアリティの観点[パラマールタ・タットヴァ・アペークシャーヤーム]から
悲しみや、破壊は不可能である。
[ショーカハ モーハハ ヴァー ナ サムバヴァティ]と言いました。
そして、比較的なリアリティの観点からも不可能です。
アルジュナはこの様に言ったかもしれません。
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私はビーシュマや他の人々のことを心配しているのに
あなたは、アートマーは死なないと言っています。
ビーシュマは私が尊敬する祖父ですから
私は、彼を殺すことが出来ません。
それを考えるだけで、悲しみを引き起こします。
あなたが言っている事は
彼はアートマーで、彼は永遠である、という事です。
あなたは私をどうしたいのですか?
誰かが死ぬから、悲しんでいるというのに
どんな細菌もアートマーを殺すことが出来ないなど言わないで下さい。
実際、その細菌がその人を殺したのに。
あなたの言っていることは、あんまりです。
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アルジュナが、自分自身についての知識を求めたので
実際アルジュナはこの様には言いませんでしたが。
アルジュナがクリシュナに教えを乞うまで
クリシュナは教えませんでした。
アルジュナに、ただ戦う様励ましました。
アルジュナが頼んだので、クリシュナは教えはじめました。
アルジュナがシュレーヤスを求め
私はクリシュナのシッシャだと言ったので
クリシュナは教えました。
これはここでのアルジュナの考えではなかった
それにも関わらず、クリシュナはそのトピックを余す所なく述べました。
クリシュナはあらゆる観点から
例え相対的な観点からですら
扱わないまま進めていこうとはしませんでした。
”悲しみの理由はない”というクリシュナの発言
私達は絶対的、そして相対的な観点
両方から理解する事が出来ます。