2018-09-30

【ギーター】第2章30番目の詩

2018/09/29

देही नित्यमवध्योऽयं देहे सर्वस्य भारत ।

dehī nityamavadhyo’yaṃ dehe sarvasya bhārata |

तस्मात्सर्वाणि भूतानि न त्वं शोचितुमर्हसि ॥२.३०॥

tasmātsarvāṇi bhūtāni na tvaṃ śocitumarhasi ||2.30||

全ての生き物達の体に宿っている

このアートマーは永久に破壊出来ません

バーラタの子孫よ!ですからあなたは

これらの者の為に悲しむべきではありません[30]

11節の”悲しみの理由はない”という

クリシュナの発言をここで要約しました。

アートマーはサットですから、ニッテャです。

誕生、死、変化などの対象ではありません。

デーハの中に、デーハに宿る人[デーヒー]がいて、

ジーヴァ・アートマーと呼ばれるこのデーヒーは

破壊の対象ではありません[ア・ヴァッデャ]。

ア・ヴァッデャは、破壊の対象でないものという意味です。

デーヒーは、破壊の対象ではありません。

それは決して破壊されず、肉体が滅ぼされる時でさえ

アートマーは滅ぼされません。

全ての生き物[サルヴァーニ ブーターニ]に

あなたは悲しむに値しません[トヴァム ショーチトゥム アルハシ]

と、クリシュナはアルジュナに言いました。

アニッテャである肉体[デーハ]が

滅ぼされない事は決してありません。

ニッテャ・アートマーを滅ぼすことも決してありません。

死を元にした悲しみの余地などありません。

あなたに悲しみを引き起こすどんな状況も

永久に続く状況ではないのですから。

スカ・ドゥッカは、来ては去ります。

ドゥッカに中身などなく

実際、ドゥッカを引き起こすのは、それに反応する人の考えです。

肉体的な痛みや、心地よくない状況はあり得ます。

これらは悲しみとは異なります。

ここでは肉体的な痛みではなく、悲しみを扱っています。

悲しみは、独特な考え方です。

悲しみは、あなた自身の中心を成しているもので

このトピックがギーターの主題です。

「あなたは悲しむべきではない[ナ トヴァム ショーチトゥム アルハシ]」が繰り返されます。

クリシュナは、悲しむ理由がないと言った後

同じトピックを他の観点からとりあげます。

実際、全ての可能な観点を余す所なく述べました。

シャンカラは、次の詩を紹介して

絶対的なリアリティの観点[パラマールタ・タットヴァ・アペークシャーヤーム]から

悲しみや、破壊は不可能である。

[ショーカハ モーハハ ヴァー ナ サムバヴァティ]と言いました。

そして、比較的なリアリティの観点からも不可能です。

アルジュナはこの様に言ったかもしれません。

私はビーシュマや他の人々のことを心配しているのに

あなたは、アートマーは死なないと言っています。

ビーシュマは私が尊敬する祖父ですから

私は、彼を殺すことが出来ません。

それを考えるだけで、悲しみを引き起こします。

あなたが言っている事は

彼はアートマーで、彼は永遠である、という事です。

あなたは私をどうしたいのですか?

誰かが死ぬから、悲しんでいるというのに

どんな細菌もアートマーを殺すことが出来ないなど言わないで下さい。

実際、その細菌がその人を殺したのに。

あなたの言っていることは、あんまりです。

アルジュナが、自分自身についての知識を求めたので

実際アルジュナはこの様には言いませんでしたが。

アルジュナがクリシュナに教えを乞うまで

クリシュナは教えませんでした。

アルジュナに、ただ戦う様励ましました。

アルジュナが頼んだので、クリシュナは教えはじめました。

アルジュナがシュレーヤスを求め

私はクリシュナのシッシャだと言ったので

クリシュナは教えました。

これはここでのアルジュナの考えではなかった

それにも関わらず、クリシュナはそのトピックを余す所なく述べました。

クリシュナはあらゆる観点から

例え相対的な観点からですら

扱わないまま進めていこうとはしませんでした。

”悲しみの理由はない”というクリシュナの発言

私達は絶対的、そして相対的な観点

両方から理解する事が出来ます。

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