2019-01-07

【ギーター】第2章39番目の詩①

2019/01/05

एषा तेऽभिहिता साङ्‍ख्ये बुद्धिर्योगे त्विमां शृणु ।

eṣā te’bhihitā sāṅ-khye buddhiryoge tvimāṃ śṛṇu |

बुद्ध्या युक्तो यया पार्थ कर्मबन्धं प्रहास्यसि ॥२.३९॥

buddhyā yukto yayā pārtha karmabandhaṃ prahāsyasi ||2.39||

自分とは何かの知識が話されてきました

プルターの息子よ!今ヨーガの知識も聞きなさい

あなたがそれを授かるなら

行いの束縛を取り除くでしょう[2-39]

この第2章で、これまでサーンキャが教えられました。

ギーターシャーストラは、2つのシャーストラがあります。

カルマ・シャーストラとモークシャ・シャーストラです。

モークシャ・シャーストラとはヴェーダーンタで

ギーターはモークシャ・シャーストラです。

カルマ・シャーストラは、様々なゴール[サーデャ]を得る為

様々な儀式、カルマ、又は手段[サーダナ]を

議論するカルマ・カーンダです。

カルマ・カーンダもヴェーダですが、カルマが主題です。

モークシャ・シャーストラの主題は、知識[ニャーナ]です。

モークシャ・シャーストラは、カルマヨーガと

サーンキャ(サンニャーサ)、2つのライフスタイルで

2つの観点から見られる事が出来ます。

両方がモークシャの為だけにあります。

カルマと、カルマヨーガの違いを

はっきりと理解されるべきです。

自分自身を清らかにする為に

カルマを行う事が、カルマヨーガです。

見極める力[ヴィヴェーカ]を持ち、モークシャを求めます。

モークシャを得る為に、人はある種の考えが必要です。

その考えを得る為に、人はある心構えでカルマを果たします。

その心構えが、行いをヨーガに変えます。

単にカルマを果たすことはヨーガではありません。

毎日行われるべき一連の祈り[ニッテャ・カルマ]があり

それらの祈りの1つはサンデャー・ヴァンダナと呼ばれます。

ヴァンダナとは、敬意or祈り

サンデャーとは、日の出、正午、日没の3回を示します。

サンデャーの文字通りの意味は「2つの時間が合う時」です。

夜は既に終わっているが、日は昇っていない時

日は既に沈み、夜はまだ始まっていない時

午前でも午後でもない、まさに正午です。

こういったニッテャ・カルマは、何かの結果を得る為か

考えを清める為[アンタッカラナ・シュッディ]に行う事が出来ます。

人が、アンタッカナ・シュッディを求めるのは

考え[アンタッカラナ]は、自己の知識を得る為に必要だからです。

カルマは、知識を得る為の考えを準備で

モークシャの為の間接的な手段です。

アンタッカラナ・シュッディの為の祈りは

イーシュワラが、そのカルマを喜び

考えを清める事で、祝福する事だけを願います。

祈りの行為は、喜びや、義務から為されるかもしれません。

アンタッカラナ・シュッディの為に祈るなら

それはヨーガとなります。

祈り、帰依(拠り所とする)、サマーディ

サマーディの為のアシュターンガヨーガを含む

様々なトピックが、カルマヨーガの中に含まれると

この詩のシャンカラのバーシャの中述べられています。

サーンキャとカルマヨーガという2つの主題は、違いがある

それを、この詩が明らかにしています。

この違いを理解しないなら

ギーター全体が矛盾していると、聞き手は混乱します。

この違いが明らかであれば、理解は可能です。

クリシュナは言いました。

「今まで私があなたに教えて来た事はサーンキャです」

[サーンキェー エーシャー ブッティヒ マヤー アビヒター トゥッビャム]

知識が、無知を取り除きます。

無知自体が問題です。

「天国が私の全ての問題の解決する」と考える事は、妄想[モーハ]です。

悲しみは、何処かに辿り着くこと

あれやこれやを得ることで取り除かれる、という考えがモーハです。

真実の知識は、この無知を取り除きます。

知識がモークシャの直接的な手段です。

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