कामात्मानः स्वर्गपरा जन्मकर्मफलप्रदाम् ।
kāmātmānaḥ svargaparā janmakarmaphalapradām |
क्रियाविशेषबहुलां भोगैश्वर्यगतिं प्रति ॥२.४३॥
kriyāviśeṣabahulāṃ bhogaiśvaryagatiṃ prati ||2.43||
最高のゴールとして、喜びと権力を得る 天国への熱望で一杯の人々(華々しい言葉)は
善い生まれを行いの結果としてもたらす、あらゆる特別な儀式について話します[2-43]
-
この詩で述べられる人は、単に願望があるのではなく、欲望の塊、願望に他ならない人々[kāmātmānaḥ]です。
今世で成し遂げたいことが山程あり、死後は、天国が究極のゴールです。
「あなたは王子に生まれるでしょう」
「あなたはお金持ちに生まれるでしょう」
「来生であなたは天界の統治者インドラに生まれるでしょう」 と、聞き心地の良い言葉を使うので 人々の心は、それらに夢中になってしまうようです。
クリシュナは、この悲しい状況を嘆きました。
彼ら自身が、これらの言葉に夢中になってしまうだけでなく、その信念を強い確信に変えたい為、 宣教師になり人々を説得します。
彼らの宣教への熱意の本当の理由は、それが確かではないからです。
その信念は、疑いがある事を意味し、疑いがあるので、ある種の強さが必要で、それを信じる人々は宣教師にならざるを得ません。
1人の人を説教する事が出来たら、安全を感じ、互いに関わり合っているという強さで、互いに助け合い、それぞれメンバーが、他のメンバーのサポートが出来る様にグループが作られます。
魅惑的で華やかな言葉に我を忘れてしまう人の考えは、ヴェーダーンタの追求に落ち着きません。
その様な言葉に運び去られてしまう考えには、本当の意味での明晰さは起こり得ないのです。