【ギーター】第2章45番目の詩
2019/04/20
त्रैगुण्यविषया वेदा निस्त्रैगुण्यो भवार्जुन ।
traiguṇyaviṣayā vedā nistraiguṇyo bhavārjuna |
निर्द्वन्द्वो नित्यसत्त्वस्थो निर्योगक्षेम आत्मवान् ॥२.४५॥
nirdvandvo nityasattvastho niryogakṣema ātmavān ||2.45||
ヴェーダの主題は3つの質に関連するものです
アルジュナよ、この3つのグナから自由で
対極の組み合わせからなる世界から自由で
サットヴァのグナに変わらず留まり
得る事・失う事の心配から自由で
自分自身を自由にすることが出来る
そういった人でありなさい[2-45]
–
人は、その人が見たいものの為だけに聖典を読みます。
それは、多くの物が並ぶ金物屋さんに入り
あなたが欲しい物だけを調べる様なもの。
聖典は多くのトピックがあり
あなたは欲しい物だけを探求します。
ヴェーダは、あらゆる結果を成し遂げる為の
道理にかなった方法を提供します。
子宝に恵まれるという様な、五感で捉えられる結果
天国を得るなどという様な、五感では捉えられない結果
五感で捉えられる、五感では捉えられないという
あらゆる方法と結果を明らかにしてますが
これら全ては、限られた結果の為の方法ばかりです。
体験[ボーガ]や、権力[アイシュヴァルヤ]を
求める人が探しているものです。
その人にとってヴェーダは、サットヴァ・ラジャス・タマス
3つのグナにまつわるもの[トライグンニャ・ヴィシャヤ]
サムサーラを意味します。
サットヴァは、何らかの幸せを与えます。
ラジャスは、興奮や動揺を与え
タマスは鈍さや悲しみを与えます。
こうしてこれら3つの質が喜びや辛さ[スカ・ドゥッカ]を与えます。
サムサーラとは、この3つのグナの囲いにあるものを意味します。
サムサーラがゴールである人にはならないように
[ニストライグンニョー バヴァ]とクリシュナは言いました。
サムサーラは、成し遂げるものではなく
既に私達はそれを得ています。
私達は既にサットヴァ・ラジャス・タマスの3つの囲いの中に居て
そこからの自由を探しています。
溺れている人は、更に水を求めません。
既に溺れているので、海の中に沈みたくはないでしょう。
私達は、既に首までサムサーラの海の中にいます。
ですから、サムサーラは、脱出する為の状況です。
シャンカラは解説します。
体験の喜び、権力への欲望からあなたが自由でありますように
[ニシュカーマハ バヴァ]
更には、喜びや辛さ[スカ・ドゥッカ]の原因である
対極の出来事から自由でありなさい[ニルドヴァンドヴァハ バヴァ]
対極の出来事[ドヴァンドヴァ]とは
暑いと寒い、勝利と敗北などです。
何かがある事や無い事に
依存していない事が、ニルドヴァンドヴァです。
暑い・寒いは、人を不幸せにする事が出来ます。
そこに振り回されるなら、幸せは、それが有る・無いに頼っています。
つまりニルドヴァンドヴァでないことになります。
また、敗北に痛みがあり、勝利に意気揚々とします。
「痛い思いをしたくないにしても、なぜ意気揚々であってはいけないのか?」
と言うかもしれませんが
意気揚々とするなら、明らかに痛みもまた持つのです。
どうか対極のものに影響されませんように。
あなたは、それらを避ける事が出来ませんから。
冬や夏を避ける事は出来ませんが
ある種の冷静さや、心構えを保つ事で
影響を受けずにいられます。
この様な状況を変えることに
没頭させられる必要はありません。
–
サットヴァの質が高いの人のことをサットヴァスタと言い
サットヴァが優勢になった時
平静さと、見極めと、探求と、知識があります。
一方、ラジョーグナは興奮や、大望といったものです。
いつも知識にあなたのコミットメントがありますように
[ニッテャサットヴァスタハ バヴァ]
そして、あなた自身が3つのグナから自由[ニストライグンニャ]
であることを発見しますように。
–
この詩のニルヨーガ・クシェーマの
ヨーガという言葉は「得ること」という意味です。
クシェーマという言葉は「維持すること」を意味します。
人の問題は、いつもヨーガかクシェーマにまつわります。
欲しいものが、得られない
あるいは持っていたものを失ってしまうとか。
様々な心配という問題を引き起こす
失っている沢山のものがあり
それら全てはヨーガとクシェーマです。
ですからクリシュナはアルジュナに言いました。
得る事・失う事の為に心配や悩みを持たない人でありますように。
[ニルヨーガ・クシェーマハ バヴァ]
欲しいものを得る事、また、それにしがみつく事
それだけが関心事の人にとっては
モークシャの追求に自分自身を没頭させることは
とても難しいと言う事です。
ヨーガやクシェーマに進むべきではないと
クリシュナは言ったのではなく
「ヨーガとクシェーマから生まれる心配がありませんように」
とは言いました。言い換えるなら
「あなたが自由でありますように」
–
あなたが自分自身のマスターでありますように。
[アートマヴァーン]
つまり、考えと感覚器官があなたと共にある人でありますように
こういったこと全てがギーターを通して解説されます。
そうでなければ、クリシュナの言葉は
単なるアドバイスに過ぎず、教えではなかったでしょう。
ここではアートマーは、体、考え、感覚器官を意味します。
あなたが、それらを所有しますように。
それらが、あなたを所有しませんように!
あなたが気まぐれな空想の手に落ちませんように。
あなたの考えが、あなたと共にありますように。
無関心で、メカニカルな考え[プラマーダ]から自由でありますように。
言い換えるなら、注意深くありますように。
あなたがあなたとして1つでありますように。