2019-09-20

2019/9/07ギーター第2章勉強会㊻

9/7の勉強会も、引き続き第2章47番目の詩を読み進めていきました。

कर्मण्येवाधिकारस्ते मा फलेषु कदाचन ।

मा कर्मफलहेतुर्भूर्मा ते सङ्गोऽस्त्वकर्मणि ॥२.४७॥

あなたの選択(権利)は行為にだけです。

決して行為の結果にはありません。

行為の結果の起因と考えないように。

アカルマ(結果)にあなたの執着がないように。[2-47]

カルマ・パラ・ダーターとしてのイーシュワラの理解が

毎日の生活の中で、私達にイーシュワラを認識させるものです。

人は転んで怪我したり

怪我1つしない事もあり

病気が結末の場合があったり

決して帰って来ない事もあります

これら全てがあり得えます。

1人のバクタ(帰依者)として

私達はイーシュワラが途切れる事なく

働いている事を見ます。

全ての結果が、イーシュワラから来きますから

それをプラサーダとして受け取ります。

私達が、神に甘いお菓子を捧げる時

その甘いお菓子は私達に還ってきます。

祭壇から与えられます。

その還ってきた甘いお菓子が、プラサーダと呼ばれます。

ダイエットをしている人は、甘いお菓子を拒むかもしれませんが

それがティルパティ ヴェンカデーシュワラ(南インドの有名な寺院)からもらった

甘いお菓子だと知ったら、その人は拒みません。

イーシュワラからの「御下がり」であると知るなら

甘いお菓子がプラサーダになります。

カルマ・パラをプラサーダ(恩恵、御下がり)に変えるのは

それがイーシュワラから来るものだという

純粋に私達の理解です。

ひとたび、全てがプラサーダであるなら

実際、何も不平がありません。

私達はそこから何かを学ぶだけです。

どの様なカルマ・パラ(行いの結果)が来ても

それに対する受け取り方は同じです。

これがクリシュナがカルマ・パラの原因ではない様にと

アルジュナに言っている事なのです。

カルマ・パラ・ヘートゥ(行いの結果の原因)は

アルジュナではなくイーシュワラです。

アルジュナは行いを作る原因ですが

その結果を作る原因ではありません。

更にクリシュナは

「行いではないものに、執着がありませんように。

アカルマニ サンガハ マー アストゥ。」

と言いました。

行いそのものは問題はなく

行いの結果への私達の反応があり

そこに問題があります。

行いではないものとは、行いの恐れを意味しています。

行い自体の恐れではなく

私達が望む結果が来ないという恐れです。

私達は行いを始める前でさえ失敗する事を予想します。

クリシュナは「カルマそのものは、束縛していない」

とアルジュナに言いました。

カルマ・パラが束縛するのでもありません。

カルマを、まるで束縛であるかの様にするのは

カルマ・パラに対する反応なのです。

「行いに愛がありますように」

「プラサーダとして結果が受け取られますように」

次回の勉強会は9月21日(土)11:20~12:50です。

第48番目、カルマヨーガ定義の詩に進みます。

最後までありがとうございました。

千葉市中央区ヨガ教室「ギーターヨーガ」ヤムナー

関連記事