2019-10-01

【ギーター】第2章48番目の詩①

2019/09/21

योगस्थः कुरु कर्माणि सङ्गं त्यक्त्वा धनञ्जय ।

yogasthaḥ kuru karmāṇi saṅgaṃ tyaktvā dhanañjaya |

सिद्ध्यसिद्ध्योः समो भूत्वा समत्वं योग उच्यते ॥२.४८॥

siddhyasiddhyoḥ samo bhūtvā samatvaṃ yoga ucyate ||2.48||

ダナンジャヤよ 執着を手放して

成功にも失敗にも同じに留まり

ヨーガに留まり行いをしなさい

考えに偏見のない事からの平静な生き方が

ヨーガと呼ばれます[2-48]

好ましい事[ラーガ]、好ましくない事[ドヴェーシャ]は

執着[サンガ]の原因です。

「これが、私に起こるべきだ」

「これは、私に起こるべきではない」と。

しかし、もし私達が

偏見なし[サマットヴァ]に物事を見る時

ラーガ・ドヴェーシャは中和されます。

ラーガ・ドヴェーシャは

どんな種類の反応をも

作り出す事の出来ない様に溶かされます。

ラーガ・ドヴェーシャは

様々なカルマを通し、それ自身を現します。

そして、その人の

サマットヴァの考えのあり方に合わせて

それは中和されます。

これがカルマ・ヨーガによって

意味される事です。

ヨーガに留まる[スタ]とは

このサマットヴァの考えのあり方を

楽しむと言う意味です。

成功[シッディ]、失敗[アシッディ]のどちらも

偏見なく受け取れることがヨーガと呼ばれます。

これが、私達をヨーギーにするものです。

=====

ヴェーダで申し付けられている儀式[ヴァイディカ・カルマ]

①カーミャ・カルマ

誰かに望まれた何らかの結果を生み出す為の儀式

②ニッテャ・カルマ

毎日の儀式

③ナイミッテャ・カルマ

特別な日時に行われる儀式

④プラーヤシュチッタ・カルマ

間違った行いを正す為の儀式

=====

ラーマの父ダシャラタは

王様として、子供を望み

プットラカーメシュティという

儀式で4人の子供を得ました。

この種類の儀式[カルマ]は

カーミャ・カルマの例えです。

カーミャ・カルマはヴェーダによって

仕組まれて解き明かされ

何らかのカルマが

ある結果を生み出すと言います。

同様に「天国を得る」

ヴェーダの中に述べられた

多くの儀式があります。

これも全てカーミャ・カルマです。

しかしそれは、カーミャ・カルマが

アンタッカラナ・シュッディの為ではありません。

特別な儀式が、特別な結果の為に述べられましたが

子供に対する望みの様に

それらは単に、望まれるもの[カーミャ]の為です。

”ニッテャ・カルマ”と、”ナイミッテャ・カルマ”

これら2つは一緒に考えられます。

学生[ブランマチャーリー]は

2種類のカルマをします。

①毎日3回為されるサンデャ・ヴァンダナという祈り。

②サミッダーダーナと呼ばれる火を使う儀式。

朝に1度行われ、その中に

「私が輝きであります様に。

私が完全に自分自身をコントロールする人であります様に。」

という祈りがあります。

家庭人[グラハスタ]も

サンデャ・ヴァンダナは続きます。

ところがサミッダーダーナは

アッグニホートラに置き換えられ

アッグニホートラは

朝と夜の2回行わなけます。

結婚の日に灯された火は

その人がサンニャーサの生き方を選ぶか

あるいは死ぬ時まで

火が消える事が許されません。

もし結婚した人が

サンニャーサの前に死んだら、

その同じ火が、その体を火葬する為に使われます。

この様に家庭を持つ人の人生は

献身的で宗教的な人生です。

ニッテャ・カルマは、しくじることなく

毎日行わなければなりません。

隠居生活の準備[ヴァーナプラスタ・アーシュラマ]では

サンデャー・ヴァンダナ、アッグニホートラと

その他カルマが付け加えられます。

それは瞑想の性質を持ちます。

これらのカルマをまぬがれる方法はありません。

人生のゴールを果たす為の生き方[サンニャーサ]で

これらの儀式と誓い[ディークシャ]は手放され

それらのカルマも手放されます。

儀式で得た身の回り品も手放され

ガーヤットリーマントラも

手放すものに含まれます。

オームという音[オームカーラ]と

必要最低限の物だけを持ち

ヴェーダの最後の部分[ヴェーダーンタ]を

勉強と熟考に専念する生き方に入ります。

サンンニャーサーまでは、

ヴェーダによって申し付けられた

様々な儀式をしなければなりません。

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