2019-10-11

【ギーター】第2章48番目の詩②

2019/10/05

योगस्थः कुरु कर्माणि सङ्गं त्यक्त्वा धनञ्जय ।

yogasthaḥ kuru karmāṇi saṅgaṃ tyaktvā dhanañjaya |

सिद्ध्यसिद्ध्योः समो भूत्वा समत्वं योग उच्यते ॥२.४८॥

siddhyasiddhyoḥ samo bhūtvā samatvaṃ yoga ucyate ||2.48||

ダナンジャヤよ。執着を手放し

成功にも失敗にも同じに留まり

ヨーガに留まり行いをしなさい

考えに偏見のない事からの平静な生き方が

ヨーガと呼ばれます[2-48]

ヴェーダで申し付けられている儀式[ヴァイディカ・カルマ]

①カーミャ・カルマ

誰かに望まれた何らかの結果を生み出す為の儀式

②ニッテャ・カルマ

毎日の儀式

③ナイミッテャ・カルマ

特別な日時に行われる儀式

④プラーヤシュチッタ・カルマ

間違った行いを正す為の儀式

プラーヤシュチッタ・カルマは

間違った行いの結果を、中和する事が出来ます。

その例えが、チャーンドラーヤナです。

1カ月に食べる食べ物の量を調整します。

満月の日に始め、次の日食べる量を15分の1を減らします。

次の日又15分の1。

これを何も食べない新月の日まで続け

新月の次の日[プラタマー]に

15分の1を食べ、次の日には15分の2を食べ

満月の日まで、15分の1量を増やします。

この期間中が、ある種の儀式になります。

プラーヤシュチッタ・カルマは

償いのカルマです。

カルマヨーガでは、カーンミャ・カルマを手放します。

イーシュワラに捧げるものとして

同様に、考えを整理する為

ニッテャ・ナイミッテャ・カルマを行います。

考えを整理する[アンタッカラナシュッディ]の目的で

ヴァイディカの儀式を行い

カルマ・ヨーギーとなります。

「そうでない場合は、カルミーです」

とシャンカラは、ここで述べています。

はっきりと確かめられた理解[ヴャヴァサーヤートミカ・ブッディ]があれば

全てのカルマがモークシャに向かいます。

モークシャはカルマで得れません。

カルマは考えを準備する為です。

カルマを通し、考えを準備する事は

私達にとってヨーガとなります。

ギーターの中で「カルマ」という言葉は

ヴァイディカ・カルマとして通常は使われますが

戦う事は「成さねばならない事」で、

クシャットリアの義務としてのカルマでした。

こうしてカルマ・ヨーガは全ての活動をカバーします。

私達は、好き、嫌い[ラーガ・ドヴェーシャ]

を中和するのです。

物事の捉え方の偏見の無さ[サマットヴァ]で

行いをする時ラーガ・ドヴェーシャは中和されます。

この考えのあり方がカルマ・ヨーガです。

この詩の、サマットヴァの考えのあり方は

「行い」そのものではなく

「結果[パラ]」に関してです。

この考えのあり方が、ヴェーダの文明に表れていて

プラサーダブッディと呼ばれます。

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「結果に期待することなく、行動を起こすべきだ」

ヴェーダにおいて、この様な伝統はありません。

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これらが、カルマ・ヨーガの意味として

翻訳されているものもありますが

それらは、間違った翻訳です。

その様な解釈が、更なるコンプレックスを作り出します。

試してみたら分かります。

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