2019-11-12

【ギーター】第2章48番目の詩④

2019/11/02

योगस्थः कुरु कर्माणि सङ्गं त्यक्त्वा धनञ्जय ।

yogasthaḥ kuru karmāṇi saṅgaṃ tyaktvā dhanañjaya |

सिद्ध्यसिद्ध्योः समो भूत्वा समत्वं योग उच्यते ॥२.४८॥

siddhyasiddhyoḥ samo bhūtvā samatvaṃ yoga ucyate ||2.48||

ダナンジャヤよ。執着を手放し

成功にも失敗にも同じに留まり

ヨーガに留まり行いをしなさい

考えに偏見のない事からの平静な生き方が

ヨーガと呼ばれます[2-48]

カルマ・ヨーガの1つ定義は「サマットヴァム ヨーガハ ウッチャテー」です。

行いの結果に関しての反応に、サマ(偏見の無さ)があります。

サマットヴァのあり方を得るのは、全ての行いの結果を与えるカルマ・パラ・ダーターとしてのイーシュワラの認識があるからです。

カルマ・ヨーガのもう1つ定義が「ヨーガハ カルマス カウシャラム」です。

行いに関して、選択を練習する時にサーマンニャ・ダルマと、ヴィシェーシャ・ダルマがいつも決定基準となるべきです。

全ての人類において普遍的なダルマは、サーマーンニャ・ダルマと呼ばれます。

サーマーンニャ(सामन्यः [sāmanyaḥ])とは、総体的な、一般的な、という意味です。

一方、その時代や場所で変わるダルマは、ヴィシェーシャ・ダルマと呼ばれます。

ヴィシェーシャ(विशेषः [viśeṣaḥ])とは、特異な、特別な、という意味です。

文化や習慣、宗教の違いも、このヴィシェーシャ・ダルマに反映されます。

私達はラーガ・ドヴェーシャだけに従って進むのではなく、ダルマに従って進む時、道徳的な生活を営んでいます。

しかし、その様な生活はヨーガではないかも知れません。

イーシュワラを考慮される時に限り、ヨーガの意味があります。

ギーターは、すぐにはイーシュワラを論じず第3章ではじめて論じられます。

神、イーシュワラというのは、創造主であるだけではなく、創造された世界でもあります。

ですから創造世界はイーシュワラから離れてはいません。

イーシュワラは宇宙創造の知的な源、物質的な源り、両方なのです。

知的な源と材料の源の両方であるという地位が、イーシュワラという意味です。

ですからこれが、創造世界は創造主と離れていないという理由です。

一方、例え想像された世界なしでも、創造主は残るという意味で、創造主は創造世界から自立しています。

例えば世界消滅の時に全世界がイーシュワラに戻って行き、彼だけが残ります。

創造世界は私達が作る夢のようです。

夢がなかろうとあなたは残ります。

夢の世界は、あなたから独立してはいませんが熟睡中の様に、あなたはそれなしでも存在する事が出来ます。

同じように創造宇宙は、創造主、イーシュワラから離れてはいません。

私達の自由意志が含まれる創造物は、私達が作った創造物[ジーヴァ・スルシュティ]、

そして、世界の中で自然によって創造された物は、イーシュワラの創造物[イーシュワラ・スルシュティ]と見なす事が出来ます。

しかしながら、よく分析すればジーヴァ・スルシュティがあると仮定していますが、実際私達によって作られた物など何もありません。

建てた家1つとっても、私達の意思や努力を含むので、何らかの真実はありますが、家が建っている土地は、私達の創造物ではなく、

建てたり、維持する為に必要な資材も私達の創造物ではありません。

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