2020/01/04
बुद्धियुक्तो जहातीह उभे सुकृतदुष्कृते ।
buddhiyukto jahātīha ubhe sukṛtaduṣkṛte |
तस्माद्योगाय युज्यस्व योगः कर्मसु कौशलम् ॥२.५०॥
tasmādyogāya yujyasva yogaḥ karmasu kauśalam ||2.50||
偏見の無い考え[サマットヴァ・ブッディ]を授かった人は
この世界でのプンニャ・パーパも手放します
ですから、あなた自身をカルマヨーガに没頭させなさい
カルマ・ヨーガは行いに思慮分別がある事です。[2-50]
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「カルマ・ヨーギーか、サンニャーシー、どちらになるべきですか?」
と尋ねる事は
「大学に行くべきか?博士号をとるべきか?」
と尋ねている様なものです。
カルマ・ヨーガは知識を得る為のステップです。
「ヨーガに専念しなさい[ヨーガーヤ ユッジャスヴァ]」
とクリシュナは言います。
私達がするどの様な行いも、イーシュワラに捧げると言う考え方[イーシュワラ・アルパナ・ブッディー]
で為される、これがヨーガです。
思慮分別は、行いに伴う選択に関してで
同時にイーシュワラの理解と感謝を意味します。
全ての行いを手放すとは『知識』を意味します。
「自分自身はどんな行いもしている人ではない」と知る事で
全ての行いを手放した人が、ニャーニーと言われ
このアートマーの知識を得た人は、サルヴァ・カルマ・サンニャーシーと呼ばれます。
クリシュナは「サルヴァ・カルマ・サンニャーサは、行いが無いことではない」と
アルジュナに言いましたが、これは理解で
この知識は、考えが聡明[シュッダ]である人にだけ起こり得ます。
その人はカルマ・ヨーギーか、引退の人生[サンニャーシー]どちらかを選びます。
知識は、サンニャーシー、カルマ・ヨーガどちらにも可能です。
アルジュナはただ、カルマ・ヨーガにのみ準備が出来ていて
サンニャーサの準備が出来ていると、クリシュナは思わなかったので48番目の詩で言いました。
「アルジュナよ、ヨーガにしっかり留まって、執着を避けて行いをしなさい
[ヨーガ スタ クル カルマーニ サンガム テャクトヴァー ダナンジャヤ]」
自分の身内に感情的に巻き込まれているアルジュナに
熟考の生き方、サンニャーシーの人生を生きるは難しいでしょう。