कर्मजं बुद्धियुक्ता हि फलं त्यक्त्वा मनीषिणः ।
karmajaṃ buddhiyuktā hi phalaṃ tyaktvā manīṣiṇaḥ |
जन्मबन्धविनिर्मुक्ताः पदं गच्छन्त्यनामयम् ॥२.५१॥
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janmabandhavinirmuktāḥ padaṃ gacchantyanāmayam ||2.51||
カルマ・ヨーガの世界の見方を授かった賢者は、行いの結果を手放し
生まれることの束縛からも自由で、全ての苦悩から自由であるゴールを成し遂げます
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カルマ・ヨーギーが知識を得て、すべてのカルマの結果を手放すと、虚しくなるのではないか?
そのような憶測が、この詩によって正されました。
カルマ・ヨーギーは、まず考えを清め、その後、プンニャやパーパを手放す結果をもたらす知識が起こります。
その知識によって、彼らは最終的にモークシャを得るのです。
◎生まれることは、囚われること
カルマ・ヨーギーは、行いの結果に対して偏見を持たないことで、その結果を手放します。
これにより、賢者[manīṣī]となり、生まれ変わりの束縛[janma-bandha]から解放されます。
この解放は、死後に起こるのではなく、生きている間に起こります。
生は、常に何かに囚われる状態であり、賢者は、その生と死のサイクルから完全に自由になります。
一方で、死後のことや生まれ変わりを気にせず、「今ここ」で得られる価値(世界との調和、結果への偏りのなさ、思慮深い行動)にのみ関心を持つという考え方もあります。
しかし、ここでは、そのような現代的な議論にも答えを与えるものとして、最終的な解放は、生きている間に達成されると言われます。
◎解放は、死んだ後ではありません
この詩では、サンスクリット語の「pada」という言葉を、単なる「言葉」ではなく、「成し遂げられるもの」、特に「知識によって達成されるもの」として説明しています。
「pada」の具体例として、ヴィシュヌ神の最も偉大な場所[viṣṇoḥ param padam]を挙げています。
これは、モークシャを意味し、生きている間に得られるものだと説明されています。
さらに、この詩における「pada」は「すべての問題や苦悩から自由であること[an-āyama]」を意味します。
つまり、自己の本質が限りのないブランマンであると知ることで、あらゆる悩みから解放されるのです。
なぜなら、ブランマン以外の何もないのですから。
この自己の本質を知る知識こそが、私たちがこの人生で追求すべき最も重要な目的であり、生きている間に達成されるべき特別なものなのです。
クリシュナは次の詩で、考えが惑わされなくなった時に、この知識が得られると、アルジュナに語ります。