2020-02-27

【ギーター】第2章52番目の詩

2020/02/01

यदा ते मोहकलिलं बुद्धिर्व्यतितरिष्यति ।

yadā te mohakalilaṃ buddhirvyatitariṣyati |

तदा गन्तासि निर्वेदं श्रोतव्यस्य श्रुतस्य च ॥२.५२॥

tadā gantāsi nirvedaṃ śrotavyasya śrutasya ca ||2.52||

あなたの知性が妄想である不浄を超える時

今まで聞いて来た事や、これから聞かねばならないであろう事に

平静さを得るでしょう[2-52]

私の問題の解決は、わたし自身であるのに

それが私の外にある様に私達は思います。

この世界で「わたし」に集約される解決を

外に解決を期待する程、大きな妄想はありません。

この大きな妄想[マハーモーハ]は

「私とは何か」

「世界は何を与える事が出来るのか」

「私の問題は何か」

「私は本当に何を望むのか」

などの理解の欠乏の為です。

この妄想という不浄(カリラ)は、

わたしと、わたしでないものの識別

[アートマー・アナートマー・ヴィヴェーカ]で手放されます。

「私は限りがない」

「私はブランマンである」

「私は全体である」

「私はここにある全てである」

ウパニシャドは言います。

誰が、これを改善する事が出来ますか?

誰もサト・チト・アーナンダを改善する事は出来ません。

それは私自身ですから、誰も退ける事が出来ません。

世界からやって来るものは何であれ、

ブランマンから離れて独立してあるものではありません。

世界の外から何も現れることはないし、

ブランマン以上のものは何もやって来れません。

それは唯一[エーカ]ですから。

これを知る事が見極める事、識別する事[ヴィヴェーカ]を意味します。

価値観がはっきりし、人間の追求の妄想が理解され

妄想(モーハ)を持たなければ、ヴェーダであろうが、他の情報源からであろうが

これから聞くであろうこと、過去聞いてきたことに対し

私は自分自身に平静さ[ニルヴェーダ]を見つけます。

私の考えが、モーハの魔力のもとにない時、

聞いてきて事、まだ聞いていない事に関しての

ヴァイラーギャを得ると、この詩は言っています。

様々な手段や、その結末について聞いてきたかもしれません。

聞いてきたこと[シュルタ]があります。

まだ聞いていない、手段とその結末があり

それらは、後程聞かれるべき事[シュロータッヴャ]の分類のに入ります。

聞いて来た事、聞くであろう事

つまり、私に知られているもの全ての執着が落ちてしまう

この平静は本当に美しいものです。

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