千葉県立 青葉の森公園近くの小さなヨガ教室

ギーターヨーガ

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【ギーター】第2章52番目の詩

यदा ते मोहकलिलं बुद्धिर्व्यतितरिष्यति ।

yadā te mohakalilaṃ buddhirvyatitariṣyati |

तदा गन्तासि निर्वेदं श्रोतव्यस्य श्रुतस्य च ॥२.५२॥

tadā gantāsi nirvedaṃ śrotavyasya śrutasya ca ||2.52||

あなたの知性が妄想である不浄を超える時、今まで聞いて来た事や、

これから聞かねばならないであろう事に、平静さを得るでしょう[2-52]

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妄想[moha]とは、真実を見極める力を欠いた状態です。

人はこのため、自分の外にあるものにばかり解決を求め、本当の自分自身に目を向けません。

最大の妄想は、「自分自身の問題の解決は、自分の外にある」と考えることです。

この妄想は、「私は何者か」「本当に何を望んでいるのか」といった自己理解の欠如から生じます。

この妄想をなくすには、アートマーとアートマーではないものを識別する力[viveka]が必要です。

この識別力を手に入れると、人は、今までに聞いたこと、これから聞くこと、つまり知っていることすべてに対する執着を手放すこと[vairāgya]ができます。

これは、考えに平静をもたらします。

もし、あなたが本当にモークシャを望み、他のすべての望みを捨てたとしても、誰かに「モークシャよりも面白いものがある」と言われたら、どうしますか?

人の平静さは揺れ動き得ます

実用主義者が、自分自身の知識を諦めるのは、見極める力[viveka]が不完全で、執着を手放すこと[vairāgya]が揺らいでいるためです。

人が、より魅力的なものに出会うと、モークシャの道から外れてしまいます。

これは見極めが不十分であるからです。

シャンカラは、ウパニシャッドという伝統的な知識を伝える「リンク」に過ぎず、新しい哲学を始めたわけではありません。

「ウパニシャッド」や「ヴェーダーンタ」として知られる教えは、「あなたはブランマンである」と説いています。

この真理は、誰も否定したり、より良いものに発展させたりすることはできません。

なぜなら、この真理は、他のいかなる手段によっても理解し否定することは不可能であり、ヴェーダという知識体系によってのみ明らかになるからです。

この「私は全体である」を深く理解すれば、より良い別の哲学に惑わされることはありません。

なぜなら、これ以上の真理は存在しないからです。

この確固たる理解こそが、真の見極め[tattva-viveka]です。

これを理解するなら、妄想[moha]などなく、人は、過去に聞いたこと、そしてこれから聞くことすべてに対して、心の平静[nirveda]を見出すことができるのです。