यदा ते मोहकलिलं बुद्धिर्व्यतितरिष्यति ।
yadā te mohakalilaṃ buddhirvyatitariṣyati |
तदा गन्तासि निर्वेदं श्रोतव्यस्य श्रुतस्य च ॥२.५२॥
tadā gantāsi nirvedaṃ śrotavyasya śrutasya ca ||2.52||
あなたの知性が妄想である不浄を超える時、今まで聞いて来た事や、
これから聞かねばならないであろう事に、平静さを得るでしょう[2-52]
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妄想[moha]とは、真実を見極める力を欠いた状態です。
人はこのため、自分の外にあるものにばかり解決を求め、本当の自分自身に目を向けません。
最大の妄想は、「自分自身の問題の解決は、自分の外にある」と考えることです。
この妄想は、「私は何者か」「本当に何を望んでいるのか」といった自己理解の欠如から生じます。
この妄想をなくすには、アートマーとアートマーではないものを識別する力[viveka]が必要です。
この識別力を手に入れると、人は、今までに聞いたこと、これから聞くこと、つまり知っていることすべてに対する執着を手放すこと[vairāgya]ができます。
これは、考えに平静をもたらします。
もし、あなたが本当にモークシャを望み、他のすべての望みを捨てたとしても、誰かに「モークシャよりも面白いものがある」と言われたら、どうしますか?
◎人の平静さは揺れ動き得ます
実用主義者が、自分自身の知識を諦めるのは、見極める力[viveka]が不完全で、執着を手放すこと[vairāgya]が揺らいでいるためです。
人が、より魅力的なものに出会うと、モークシャの道から外れてしまいます。
これは見極めが不十分であるからです。
シャンカラは、ウパニシャッドという伝統的な知識を伝える「リンク」に過ぎず、新しい哲学を始めたわけではありません。
「ウパニシャッド」や「ヴェーダーンタ」として知られる教えは、「あなたはブランマンである」と説いています。
この真理は、誰も否定したり、より良いものに発展させたりすることはできません。
なぜなら、この真理は、他のいかなる手段によっても理解し否定することは不可能であり、ヴェーダという知識体系によってのみ明らかになるからです。
この「私は全体である」を深く理解すれば、より良い別の哲学に惑わされることはありません。
なぜなら、これ以上の真理は存在しないからです。
この確固たる理解こそが、真の見極め[tattva-viveka]です。
これを理解するなら、妄想[moha]などなく、人は、過去に聞いたこと、そしてこれから聞くことすべてに対して、心の平静[nirveda]を見出すことができるのです。