2020/03/07
श्रुतिविप्रतिपन्ना ते यदा स्थास्यति निश्चला ।
śrutivipratipannā te yadā sthāsyati niścalā |
समाधावचला बुद्धिस्तदा योगमवाप्स्यसि ॥२.५३॥
samādhāvacalā buddhistadā yogamavāpsyasi ||2.53||
(手段と結果を示す)ヴェーダに取り乱されてきたあなたの考えが
自分自身にしっかり成し遂げられて、動かずにとどまる時
それであなたは自分自身の知識を得るでしょう[2-53]
この詩は平静さによってもたらされる、更なるゴールを示しています。
前半のヴェーダは、様々なゴールを成し遂げる為の、様々な方法を話します。
考えが1つになった時、つまり何を得なければならないかを決定してしまった時
美しく、とても入念に描写されている前半のヴェーダによる
様々な方法やゴールにも簡単には揺さぶられなくなります。
何故なら、全ての方法やゴールを含む
唯一のゴールに心を固定したからです。
本当に求めている事は、あらゆる制限からの自由なのです。
この事を知ったなら、全てはとてもシンプルです。
様々な物事が、考えを魅惑しても
考えは揺さぶられる事無く、悩まされる事無く、運び去られる事無く留まります(スターッスャティ ニスチャラ)。
唯一[エーカー]のゴールに考えは向けられます。
考えのこの在り方がカルマ・ヨーガです。
私を捕えて支配していたラーガ・ドヴェーシャの力が緩められ
考え、知性がしっかりします。
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「全てのものがその中に解決するもの、それがアートマー」
”サムミャグ アーディーヤテー チッタム アスミン イティ サマーディ アートマー”
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この文脈の中のサマーディという言葉は
アートマーを意味するとシャンカラは述べています。
この詩の最初の行は自由[モークシャ]を求めている人
すなわちムムクシュである事を示しています。
自分自身の知識を通しモークシャを成し遂げること
それが明確なことがカルマヨーガで
カルマ・ヨーギーはムムクシュです。
ムムクシュには、どんな疑いも無い[ヴィカルパ]に知性が留まる時、
そこには知識[ニャーナ]があり、それが本当のヨーガです。
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この詩の後半のヨーガと言う言葉が
アートマーとアナートマーの識別の知識に他ならない事を明らかにしています。
この詩の後半のヨーガと言う言葉は、カルマ・ヨーガの意味ではありません。
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限られたものを、受け入れる原因となる識別の無さ[ア・ヴィヴェーカ]取り除くなら
アートマーとアナートマーのヴィヴェーカで成し遂げらる
本当のヨーガ[パラマールタ・ヨーガ]があります。
ニャーナと呼ばれるこのヨーガが、アルジュナが得るであろうヨーガです。
クリシュナは「ヨーガム アヴァープシャシ」と言いました。
この特殊な主題は正しく知り理解する為の対象、信仰の対象ではありません。
1+1=2や、重力の法則などは、理解するためにあります。
学校でも先生は、それらを理解しなさいと教え
それらを信じなさい、とは教えません。
私自身、イーシュワラについても同じです。