2020/03/21
अर्जुन उवाच ।
arjuna uvāca |
स्थितप्रज्ञस्य का भाषा समाधिस्थस्य केशव ।
sthitaprajñasya kā bhāṣā samādhisthasya keśava |
स्थतधीः किं प्रभाषेत किमासीत व्रजेत किम् ॥२.५४॥
sthitadhīḥ kiṃ prabhāṣeta kimāsīta vrajeta kim ||2.54||
アルジュナが言いました
ケーシャヴァよ、アートマーの中に考えが定着している人
整った知性の人はどの様な人ですか?
あらゆる事に揺れず、その知性に留まる人は
どの様に話し、座り、また歩くのですか?[54]
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男性名詞であるスティタップラッニャという言葉は
知識が定着している人のことを言います。
知識そのものではありません。
知識[プラッニャー]は、女性名詞です。
アルジュナの質問1行目は
知識を得た人[スティタップラッニャ]の描写を尋ねる質問でした。
賢者の俗っぽい描写があるので、2行目のアルジュナの質問を
クリシュナは文字通りにとられえませんでした。
「アルジュナは以下のように質問したかったはずです」
と、シャンカラ先生も言います。
「賢者は、どの様に世界と関わるのでしょう?」
「その人は世界の中で、どの様に話したり、仕事したりするのでしょうか?」
「その人が知識を持つ事で、何か具体的な現象があるのでしょうか?」
「その人が持つ知識を暴く、または明らかにするものはあるのでしょうか?」
「その人の世界への関わり方と、一般人の世界への関わり方には、何か違いがありますか?あるべきですよね?」
「その人の知識がもたらす特徴は何でしょうか?」
それについてバガヴァーンが答えます。
श्रीभगवानुवाच ।
śrībhagavānuvāca |
प्रजहाति यदा कामान् सार्वान् पार्थ मनोगतान् ।
prajahāti yadā kāmān sārvān pārtha manogatān |
आत्मन्येवात्मना तुष्टः स्थितप्रज्ञस्तदोच्यते ॥२.५५॥
ātmanyevātmanā tuṣṭaḥ sthitaprajñastadocyate ||2.55||
シュリーバガヴァーン言う
アルジュナよ。考えに表れた全ての欲望を手放し、
自分自身に幸せであり、自分自身といて幸せな人である時
その人は知識に根付いた人と言われます[55]
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賢者の生活の中での振る舞い
他に対する態度や気質は
知識を探求する人々が、見習うべきものです。
探求者が賢者になる為の手段[サーダナ]ですから
土台として身に着けるべきです。
これらのサーダナなしに、人は思慮深くはなれません。
はじめにサーダナがあり、その後自然な振る舞いとなります。
賢者は、同情深くなろうとか、愛そうとか、与えようと、努力するのではなく
その人はごく自然に同情深く、愛し、与えます。
しかし、それがまだ自然な振る舞いにならない人にとっては
与える事は試みで、これが必要です。
「与える」と同時に、「与えられない」という考えもあるのですから。
「何故与えなければならないの?」という疑問があります。
与えない様囁くエゴがあれば、私は与える人ではないのです。
全ての賢者が自然と振る舞う、与える事や、愛、同情、思いやりなどが
賢者になる事を望む人[ムムクシュ]にとってのサーダナとなります。
サーダナは、努力[ヤットナ]があって実ります。
努力が実を結び、自然と振る舞えるようになれば、しっかり知識が根付くのです。
「知識を得た人[スティタップラッシニャ]の描写をして欲しい」
というアルジュナに答えクリシュナは
賢い人の描写と、賢くなる為のサーダナの両方を含め教えました。
それらは1つであり、同じ事ですから。
更に、全ての欲望[サルバーンカーマーン]を手放すことは
賢者は願望を持たないという事ではなく
願望があっても、その願望に縛られたりしないということが
手放すこと[プラジャハーティ]と言い示しました。