2020-04-17

【ギーター】第2章55番目の詩②

2020/04/04

श्रीभगवानुवाच ।

śrībhagavānuvāca |

प्रजहाति यदा कामान् सार्वान् पार्थ मनोगतान् ।

prajahāti yadā kāmān sārvān pārtha manogatān |

आत्मन्येवात्मना तुष्टः स्थितप्रज्ञस्तदोच्यते ॥२.५५॥

ātmanyevātmanā tuṣṭaḥ sthitaprajñastadocyate ||2.55||

シュリーバガヴァーン言う

アルジュナよ。考えに表れた全ての欲望を手放し、

自分自身に幸せであり、自分自身といて幸せな人である時

その人は知識に根付いた人と言われます[55]

欲望を満たす時だけが幸せな人は

「人が全ての欲望を手放したなら、その人にはアーナンダ(幸せ)は、無いのでは?」

と考えるかもしれません。

この疑問に答える為に、2つのことを良く考えるべきです。

1.人は、本当に幸せではないのか?

2.人は、幸せになる為に、欲望を満たす為にあくせく働いている

ということ。

時々幸せになるので、幸せは来るものとして、人は幸せを望みます。

欲望を求める人は、いつも幸せの為にあくせく働いていますが

全ての欲望を手放してしまった人は、幸せになる手段などありません。

更に、幸せが無く、誰も長い時間留まる事など出来ません。

「その人はその人自身といて幸せなのだ」と

バガヴァーンは言い、この一連の考えを正します。

外側の支えや環境がなくても、その人は幸せなのです。

例えるなら、砂糖は甘いものですが

甘さ継続の為に、他の甘味料を足す必要などありません。

甘さの飽和状態、それが砂糖です。

同じように幸せな人[トゥシュタハ]は

幸せの為に、他のものや状況に頼らず

自分自身に、自分自身が気づいている事で幸せです。

その様な人がスティタプラッニャと呼ばれます。

スティタは、良く確立された事を意味し

プラッニャは、わたしとわたし以外の分析とその識別

[ヴィヴェーカ]がもたらす知識、とシャンカラ先生は解説します。

この知識がしっかり確立した人が、スティタプラッニャ

あるいは賢者[ヴィドヴァーン]と呼ばれます。

ラーガ・ドヴェーシャは、どちらも欲求[カーマ]です。

得たいもの、守りたいもの、避けたいもの、取り除きたいもの

このラーガ・ドヴェーシャには

「束縛するもの」と「束縛しないもの」という2つのタイプがあり

ラーガ・ドヴェーシャと言う形のカーマを、シャーストラが語る時

それは「束縛するもの」だけを話しています。

「束縛しないもの」は、問題無いからです。

クリシュナは、教えたいという欲求がありました。

戦場の真っ只中ということも気にせず、アルジュナに教えました。

マハーバーラタと呼ばれる大きな作品を書き上げたヴャーサも

書き続けたいなど、多くのの欲求があったはずです。

人は、何かを成し遂げたいという欲求を持ちますが

しばらくして、それを諦めます。

何かを始めますが、やり遂げません。

ヴャーサは違い、マハーバーラタを完成させました。

もし欲求がなければ、賢者は教える事が出来ません。

残念な事に近年の幾つかのギーターの解説は

”全ての欲求を手放すこと”の意味が

束縛しない欲求までも手放す、と解釈されます。

シャンカラ先生の解説書に従うなら、クリシュナが言う事は明確です。

近年の間違った解釈などあり得ません。

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