千葉県立 青葉の森公園近くの小さなヨガ教室

ギーターヨーガ

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【ギーター】第2章55番目の詩③

2020/04/18

श्रीभगवानुवाच ।

śrībhagavānuvāca |

प्रजहाति यदा कामान् सार्वान् पार्थ मनोगतान् ।

prajahāti yadā kāmān sārvān pārtha manogatān |

आत्मन्येवात्मना तुष्टः स्थितप्रज्ञस्तदोच्यते ॥२.५५॥

ātmanyevātmanā tuṣṭaḥ sthitaprajñastadocyate ||2.55||

シュリーバガヴァーン言う

アルジュナよ。考えに表れた全ての欲望を手放し、

自分自身に幸せであり、自分自身といて幸せな人である時

その人は知識に根付いた人と言われます[55]

-

自分自身を行い手[カルター]と見れば、欲求は、束縛あるものです。

ところが、自分自身を行い手として見ず、自身の知識に目覚めているなら

行い手はなく、なさねばならない事もありません。

クリシュナは全体、全てが彼自身で、なし遂げねばならない事などありませんでした。

それでもクリシュナは、いつも活動的でしたが

彼の活動には、束縛はありませんでした。

行いが、束縛のないものであれば

行いを駆り立てている要因、願望[カーマ]にも束縛はありません。

ギーターでは、束縛のあるカーマだけが議論されます。

湧き上がる全ての欲求を手放し、自分自身でいて幸せ。

その時にだけその人は、賢者[スティタプラッニャ]と呼ばれます。

自分自身でいて幸せな人は、自分自身を完全に受け入れる事が出来る賢者なのです。

自分自身とは完全です。

完全とは、不完全という感覚がないことを意味します。

「自分自身は不完全」という感覚から自由で、全宇宙は、自分自身と別々のものではありません。

自分自身は完全[プールナ]で、改善することなどありません。

甘い砂糖そのものに、甘さ改善の余地がない様に

わたし[アートマー]が満ちていることに、それ以上、改善の余地がありません。

その事実に目覚めていて、その人は幸せです。

賢者とは、ゆっくり話す人、静かに歩く人etc...

その様な描写をここで言っているのでは無く

友情が、友達になる唯一の方法であるように、知識だけが人を賢くします。

他の方法はありません。

同様に「どうしたら愛を育てる事が出来ますか?」と尋ねる人がいますが

すべきことは、ただ愛する事です。

愛そのものの他に、愛を発見する事は出来ません。

愛を手に入れたいならば愛する事です。

愛を発見しやすい状況、愛を発見するに反しない状況を作り出すのです。

人は故意に、あるいは気づかずに、愛を発見する事に不利な状況を自分自身で作ります。

その様な状況を避ければ、人は、人が愛している事を知ります。

愛はアーナンダ、満ち足りていること。

それが表現されたものに他なりません。

小麦粉がブレッド、ロール、マフィンなどの名前がある様に、愛も様々な形になり得ます。

小麦に与えられた様々な名前は、小麦の変化を表しています。

同様に愛は、アーナンダの変化、アーナンダの現われであるシンプルな感情です。

愛を分析するなら、それは、アーナンダである事が分かります。

アーナンダの現れた形が愛で、愛そのものが、状況により妨げられると

貪欲、怒り、失望などの否定的な感情を導く願望[カーマ]となります。

アーナンダの表現された形は、神[バガヴァーン]で、愛とは神[バガヴァーン]です。

バガヴァーンの本質は、サト・チト・アーナンダです。

そしてアーナンダの現れた形、神[イーシュワラ]は愛なのです。