2020/04/18
श्रीभगवानुवाच ।
śrībhagavānuvāca |
प्रजहाति यदा कामान् सार्वान् पार्थ मनोगतान् ।
prajahāti yadā kāmān sārvān pārtha manogatān |
आत्मन्येवात्मना तुष्टः स्थितप्रज्ञस्तदोच्यते ॥२.५५॥
ātmanyevātmanā tuṣṭaḥ sthitaprajñastadocyate ||2.55||
シュリーバガヴァーン言う
アルジュナよ。考えに表れた全ての欲望を手放し、
自分自身に幸せであり、自分自身といて幸せな人である時
その人は知識に根付いた人と言われます[55]
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自分自身を行い手[カルター]と見れば、欲求は、束縛あるものです。
ところが、自分自身を行い手として見ず、自身の知識に目覚めているなら
行い手はなく、なさねばならない事もありません。
クリシュナは全体、全てが彼自身で、なし遂げねばならない事などありませんでした。
それでもクリシュナは、いつも活動的でしたが
彼の活動には、束縛はありませんでした。
行いが、束縛のないものであれば
行いを駆り立てている要因、願望[カーマ]にも束縛はありません。
ギーターでは、束縛のあるカーマだけが議論されます。
湧き上がる全ての欲求を手放し、自分自身でいて幸せ。
その時にだけその人は、賢者[スティタプラッニャ]と呼ばれます。
自分自身でいて幸せな人は、自分自身を完全に受け入れる事が出来る賢者なのです。
自分自身とは完全です。
完全とは、不完全という感覚がないことを意味します。
「自分自身は不完全」という感覚から自由で、全宇宙は、自分自身と別々のものではありません。
自分自身は完全[プールナ]で、改善することなどありません。
甘い砂糖そのものに、甘さ改善の余地がない様に
わたし[アートマー]が満ちていることに、それ以上、改善の余地がありません。
その事実に目覚めていて、その人は幸せです。
賢者とは、ゆっくり話す人、静かに歩く人etc...
その様な描写をここで言っているのでは無く
友情が、友達になる唯一の方法であるように、知識だけが人を賢くします。
他の方法はありません。
同様に「どうしたら愛を育てる事が出来ますか?」と尋ねる人がいますが
すべきことは、ただ愛する事です。
愛そのものの他に、愛を発見する事は出来ません。
愛を手に入れたいならば愛する事です。
愛を発見しやすい状況、愛を発見するに反しない状況を作り出すのです。
人は故意に、あるいは気づかずに、愛を発見する事に不利な状況を自分自身で作ります。
その様な状況を避ければ、人は、人が愛している事を知ります。
愛はアーナンダ、満ち足りていること。
それが表現されたものに他なりません。
小麦粉がブレッド、ロール、マフィンなどの名前がある様に、愛も様々な形になり得ます。
小麦に与えられた様々な名前は、小麦の変化を表しています。
同様に愛は、アーナンダの変化、アーナンダの現われであるシンプルな感情です。
愛を分析するなら、それは、アーナンダである事が分かります。
アーナンダの現れた形が愛で、愛そのものが、状況により妨げられると
貪欲、怒り、失望などの否定的な感情を導く願望[カーマ]となります。
アーナンダの表現された形は、神[バガヴァーン]で、愛とは神[バガヴァーン]です。
バガヴァーンの本質は、サト・チト・アーナンダです。
そしてアーナンダの現れた形、神[イーシュワラ]は愛なのです。