2020-05-07

【ギーター】第2章55~56番目の詩

2020/05/02

श्रीभगवानुवाच ।

śrībhagavānuvāca |

प्रजहाति यदा कामान् सार्वान् पार्थ मनोगतान् ।

prajahāti yadā kāmān sārvān pārtha manogatān |

आत्मन्येवात्मना तुष्टः स्थितप्रज्ञस्तदोच्यते ॥२.५५॥

ātmanyevātmanā tuṣṭaḥ sthitaprajñastadocyate ||2.55||

シュリーバガヴァーン言う

アルジュナよ 考えに表れた全ての欲望を手放し

自分自身に幸せであり、自分自身といて幸せな人である時

その人は知識に根付いた人と言われます。[55]

バガヴァーンとは何でしょう?

バガヴァーンの本質は、サト・チト・アーナンダ。

アーナンダが現れた形、イーシュワラ

神は愛です。

この愛の変容には

ポジティヴとネガティヴがあります。

哀れみ、思いやりは、ポジティヴな愛の変容

怒り、貪欲、嫉妬は、ネガティヴな愛の変容

表現された形、表現されていない形

どちらも1つのアーナンダです。

表現されたものが愛となります。

スティタプラッニャとは

アーナンダをその人自身の中に発見した人

自分自身の他に何もない事を知った人です。

「私は全体である」と人が言う時

全ての欲求を満たしているものが自分自身です。

自分自身の発見と

全ての欲求を満たすこと

この2つは、別々のことではなく同じ事です。

दुःखेष्वनुद्विग्नमनाः सुखेषु विगतस्पृहः ।

duḥkheṣu anudvignamanāḥ sukheṣu vigataspṛhaḥ |

वीतरागभयक्रोधः स्थितधीर्मुनिरुच्यते ॥२.५६॥

vītarāgabhayakrodhaḥ sthitadhīrmunirucyate ||2.56||

不幸で苦しい出来事に影響されず

物質的、精神的な快楽を求めず

渇望、恐れ、怒りから自由である賢者が

知識に根付く人と言われます[56]

多くの人は、欲求が満たされた時に幸せです。

しかしここでは、何か欲求が満たされることがなくても

わたしが、わたし自身であって幸せなのです。

アートマーの本質は「限りがある」という感覚からの自由

この特別な事実に気づいている人は、不幸せから自由です。

この様な賢者は、どんな風に世界に反応するのか?

クリシュナは、知識を得た人の特徴を述べました。

賢者の考えにも欲求は起こりますが

その人は、自分自身といて自分自身に幸せである為

欲求に影響されません。

世界に対する人のリアクションで

どれ位知識があるかを、秤れるとは限りません。

しかし、世界と関わりながら

ナチュラルに表現される賢者の態度は

探求者にとって、努力し開拓する為の価値を示す

その様にアルジュナは考えました。

賢者が、この世界に自身をどう表現するのか?

それを知る事が、賢者か否かを

判断する為のものではありません。

「これぞ賢者の振る舞い方」

という基準はありません。

賢くある為に、私がすべき事を

知る為だけのものです。

賢者が賢くなる前に追及し

今も、自然と表現される態度

これが、アルジュナが知りたかったことでした。

なぜならスティタプラッニャの特徴は

ムムクシュによって追求される手段[サーダナ]

そのものになるからです。

クリシュナは、質問の真意を理解し

それに応じて答えました。

ドゥッケーシュという言葉は、複数形です。

痛み、悲しみ[ドゥッカ]の原因は

以下の3つの側面があります。

1.自身の体、考え、感覚器官[आध्यात्मिक]

2.私をイラつかせる虫や人、置かれている状況[आधिभौतिक]

3.自然災害など[आधिदैविक]

ドゥッカの原因は100通りあっても

ドゥッカ自身は1つで同じもの。

人は痛みや悲しみによって

揺さぶられ、動揺するものです[anudvignamanāḥ]

認識すると、全て悪くなるとまで心配し

周りにいる人々の苦痛にさえなります。

これらの悲しみ、辛さは賢者にもありますが

このドゥッカに巻き込まれない人

それが賢者だと言われました。

様々な状況に対する賢者の反応が

この先も解説されます。

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