2020/05/02
श्रीभगवानुवाच ।
śrībhagavānuvāca |
प्रजहाति यदा कामान् सार्वान् पार्थ मनोगतान् ।
prajahāti yadā kāmān sārvān pārtha manogatān |
आत्मन्येवात्मना तुष्टः स्थितप्रज्ञस्तदोच्यते ॥२.५५॥
ātmanyevātmanā tuṣṭaḥ sthitaprajñastadocyate ||2.55||
バガヴァーンが言いました
アルジュナよ 考えに表れた全ての欲望を手放し
自分自身に幸せであり、自分自身といて幸せな人である時
その人は知識に根付いた人と言われます[55]
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バガヴァーンの本質は、サト・チト・アーナンダ。
アーナンダが現れた形、イーシュワラ
神は愛です。
この愛の変容にはポジティヴとネガティヴがあります。
哀れみ、思いやりは、ポジティヴな愛の変容
怒り、貪欲、嫉妬は、ネガティヴな愛の変容
表現された形、表現されていない形、どちらも1つのアーナンダです。
表現されたものが愛となります。
スティタプラッニャとは、アーナンダをその人自身の中に発見した人
自分自身の他に何もない事を知った人です。
「私は全体である」と人が言う時、全ての欲求を満たしているものが自分自身です。
自分自身の発見と、全ての欲求を満たすこと
この2つは、別々のことではなく同じ事です。
दुःखेष्वनुद्विग्नमनाः सुखेषु विगतस्पृहः ।
duḥkheṣu anudvignamanāḥ sukheṣu vigataspṛhaḥ |
वीतरागभयक्रोधः स्थितधीर्मुनिरुच्यते ॥२.५६॥
vītarāgabhayakrodhaḥ sthitadhīrmunirucyate ||2.56||
不幸で苦しい出来事に影響されず
物質的、精神的な快楽を求めず
渇望、恐れ、怒りから自由である賢者が
知識に根付く人と言われます[56]
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多くの人は、欲求が満たされた時に幸せです。
しかしここでは、何か欲求が満たされることがなくても
わたしが、わたし自身であって幸せなのです。
アートマーの本質は「限りがある」という感覚からの自由
この特別な事実に気づいている人は、不幸せから自由です。
この様な賢者は、どんな風に世界に反応するのか?
クリシュナは、知識を得た人の特徴を述べました。
賢者の考えにも欲求は起こりますが、自分自身といて自分自身に幸せである為
欲求に影響されません。
世界に対するリアクションから、どれ位知識があるか秤れるとは限りません。
しかし、世界と関わり、ナチュラルに表現される賢者の態度は
探求者にとって、努力し開拓する為の価値を示す
その様にアルジュナは考えました。
賢者が、この世界に自身をどう表現するのか?
それを知る事が、賢者か否かを判断する為のものではありません。
「これぞ賢者の振る舞い方」という基準はありません。
賢くある為に、私がすべき事を知る為だけのものです。
賢者が賢くなる前に追及し、今も、自然と表現される態度
これが、アルジュナが知りたかったことでした。
なぜならスティタプラッニャの特徴は
ムムクシュによって追求される手段[サーダナ]そのものになるからです。
クリシュナは、質問の真意を理解し、それに応じて答えました。
ドゥッケーシュという言葉は、複数形です。
痛み、悲しみ[ドゥッカ]の原因は、3つの側面があります。
1.自身の体、考え、感覚器官[आध्यात्मिक]
2.私をイラつかせる虫や人、置かれている状況[आधिभौतिक]
3.自然災害など[आधिदैविक]
ドゥッカの原因は100通りあっても、ドゥッカ自身は1つで同じもの。
人は、痛みや悲しみで、揺さぶられ、動揺するものです[anudvignamanāḥ]
認識すると、全て悪くなるとまで心配し、周りにいる人々の苦痛にさえなります。
これらの悲しみ、辛さは賢者にもありますが
このドゥッカに巻き込まれない人、それが賢者だと言われました。
様々な状況に対する賢者の反応が、この先も解説されます。