2020-06-07

2020/06/06【ギーター】第2章 56番目の詩

दुःखेषु 7/3 अनुद्विग्नमनाः 1/1 सुखेषु 7/3 विगतस्पृहः 1/1 ।

वीतरागभयक्रोधः 1/1 स्थितधीः 1/1 मुनिः 1/1 उच्यते III/1 ॥२.५६॥

三重の逆境に影響されず、順境への願望を求めず

渇望、恐れ、怒りから自由である賢者(ムニ)が、知識に根付く人と言われます[56]

死の恐れ

見下されたり、軽蔑されたりする恐れ

ちっぽけである事の恐れ

成し遂げられない事の恐れなど

恐れは、

求める人と(主体)、求められるもの(客体)の関係

分かれている(ドヴァイタ)が

ある時にだけ存在し

ドヴァイタがある時、恐れがあります。

恐れから自由になる唯一の方法は

分かれているが、無いこと(ア・ドヴァイタ)。

恐れは、知識を通してのみ無くなります。

これが唯一の方法です。

「イーシュワラが全て、そして私はその一部」

こんな小さな分裂でさえ、恐れを起します。

この考え方から、全てが違うものになります。

この分裂は、ちゃんと考えていない事から生まれます。

ムニとは考える人、探求する人で

ムニの知識はしっかりと定着します(スティタディー)。

ドヴァイタは、知識ではなく

信じるにすぎないこと。

反論があっても、ア・ドヴァイタ(分かれていない)は

あなたが知っているものです。

それを他者に上手く伝えられない

(教え方の方法論を上手に使えない)かも知れませんが

あなた自身なのですから、あなたが知っています。

それは、信じなければならない様な何かではなく

全ての観念からの自由。

ア・ドヴァイタは、そこにある全てです。

知識が定着した人(スティタプラッニャ)は賢者で

サンニャーシーも、知識がしっかりと宿った人

であることを示す言葉です。

この言葉がシャンカラ先生の解説書で取り上げられています。

サンニャーシーになることなしに

知識がしっかりと宿った人にはならない。

ここで言うサンニャーシーは

この知識に価値を見た人、既に知識が完成した人

どちらの意味ともとれます。

シャンカラ先生が述べるサンニャーサは

いつも知識であり、それ以外のものではない。

行いの結果が、モークシャなのではないと言う事です。

यः 1/1 सर्वत्र 0 अनभिस्नेहः 1/1 तत् 2/1 तत् 2/1 प्राप्य 0 शुभाशुभम् 2/1 ।

न 0 अभिनन्दति III/1 न 0 द्वेष्टि III/1 तस्य 6/1 प्रज्ञा 1/1 प्रतिष्ठिता 1/1 ॥२.५७॥

あらゆる状況に執着せず、快・不快を得ても愛慕も嫌悪もない

その様な人の知識は、十分に成し遂げられています[57]

スネーハという言葉、サンスクリット語での文字通りの意味は

油や膠(にかわ)の様な粘り気のあるものです。

粘着するものがスネーハと呼ばれます。

例えば、自分の子供への愛情はスネーハだと考えられます。

子供が遠くにいてでも、

子供は私の頭の中でいつも私と一緒にいます。

分かち合いがあり、子供の喜びや悲しみが

私の喜びや悲しみになり、影響されます。

愛情は問題ありませんが

執着(アビスネーハ)はやっかいです。

子供に愛情がある時、話したり、話を聞いたり、

いい子いい子したり、そういったスネーハは

子供の成長の為にとても大切です。

しかし、愛情は執着になり得ます。

執着は、ある種の拘束があり

その人が所有され、コントロールされる対象になります。

この続きは、次回見ていきましょう。

次回の勉強会は6月20日(土)11:20~12:50

第57番目の詩を更に読み進めます。

最後までありがとうございました。

千葉市中央区ヨガ教室「ギーターヨーガ」ヤムナー

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