
यः सर्वत्रानभिस्नेहस्तत्तत्प्राप्य शुभाशुभम् ।
yaḥ sarvatrānabhisnehastattatprāpya śubhāśubham |
नाभिनन्दति न द्वेष्टि तस्य प्रज्ञा प्रतिष्ठिता ॥२.५७॥
nābhinandati na dveṣṭi tasya prajñā pratiṣṭhitā ||2.57||
どのような状況にも執着しない人、喜びを得ると感極まったり、不快な状況を嫌ったりしたりしない人、そういった人の知識が、じゅうぶんに成し遂げられている知識なのです。
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前の詩で述べられた「ムニ」とは、探求[vicāra]の結果として知識を得た賢者[jñānin]を指します。
賢者の特徴は、あらゆるものに対して執着[abhisneha]を持たないことです。
サンスクリット語の「スネーハ」は、「油」や「にかわ」のような粘着性を意味し、離れがたく絡みつく、粘り気のある愛情を指します。
子供の成長に必要な健やかな愛情に対し、執着[abhisneha]は相手を所有・コントロールしようとする拘束へと変化しています。
多くの人が、自分自身を見失ってしまうのに対し、賢者の心は何ものにも捕らわれることなく、常に自由で自らの本来あるべき場所に留まっています。
◎いつもあなたの心がある場所にあなたの考えがある
人の考えや心は、情緒的な執着がある場所へと向けられ、分散してしまいます。
しかし、自分自身という本質に留まっている賢者は、心を外側に奪われることがありません。
賢者は、愛や友情、いたわりの心[sneha]を持ち合わせ、アルジュナに優しく説くクリシュナのように慈愛に満ちていますが、相手を束縛したりコントロールしたりする「執着[abhisneha]」とは無縁です。
また、賢者は好ましい状況に舞い上がったり、好ましくない状況を憎んだりすることもありません。
不快な状況を拒絶せず、事実をあるがままに受け入れるため、投資市場のような感情の激しい揺れ動きから自由です。
この「同じであり続ける[sama]」態度は、アートマーとアナートマーを識別する知識から自然に溢れ出す、賢者の完成された表現なのです。
