2020-07-06

【ギーター】第2章58番目の詩

2020/07/04

यदा संहरते चायं कूर्मोऽङ्गानीव सर्वशः ।

yadā saṃharate cāyaṃ kūrmo’ṅgānīva sarvaśaḥ |

इन्द्रियाणीन्द्रियार्थेभ्यस्तस्य प्रज्ञा प्रतिष्ठिता ॥२.५८॥

indriyāṇīndriyārthebhyastasya prajñā pratiṣṭhitā ||2.58||

亀が手足を引っ込める様に

対象物から感覚器官を完全に引き下げるなら

その人の知識はしっかりと留まっています[58]

知識に根付く人[スティタップラッニャ]は、どの様に世界と関わるのか?

というアルジュナの質問への答えが述べられています。

チャ[च]という言葉が、この詩と前の詩を繋ぎます。

「私はOKだけど、私の感覚器官が私を乗っ取ってしまう」など

感覚器官は、私達によって悪者として述べられます。

シャーストラも詩の意味だけをそのまま受け取るなら

まるで感覚器官が悪者かの様な言い回しです。

感覚器官は知識の道具[プラマーナ]

何が起こっているかをレポートするのが仕事です。

音があるなら、音がある事をただ私に告げます。

その情報で、すぐに私の好みの空想がはじまり

空想に捕まってしまう自分自身に気づき、完全に我を失います。

感覚器官のレポートが、私を空想に導くので

感覚器官が問題だと思われますが、それらには問題はありません。

その後ろにある考えに問題があるようにも思われますが

考えにも問題はありません。

考えや肉体を私として、世界との関われるように働きます。

知識に根付く人[スティタップラッニャ]は

ダルマに沿って、イーシュワラを認識し進みます。

好みの空想によって強いられません。

望む事に従って進むという事は、決心です。

ダルマは相対的ではありますが、それに従い進みます。

好みの空想に巻き込まれない人、意のままに感覚器官を引き下げる人は

感覚器官の手の内には無く、

感覚的な追及は、その人の許可とサイン無しにはじまりません。

そうして、自分自身の知識にしっかりと留まる事[ニャーナ・ニシュター]を得ます。

ニャーナ・ニシュターには、必ず2つのステップが必要です。

・ウパーサナ(イーシュワラに祈る)

・ニディッデャーサナ(考えの質に染まらず、わたしに留まる熟考)

クリシュナは、感覚器官を引き下げる事を亀[クールマ]の例えを使いました。

亀は、手足を意のままに出したり引っ込めたり出来ます。

甲羅の固さは、中の生きものの匂いも分からない様にします。

身を守る方法として、バガヴァーンからその能力が与えられました。

人もまた、その人が引き下がれる強い甲羅を持っています。

好みの空想に連れ去られるなら、感覚器官はどうする事も出来ません。

しかし、私達は、ありとあらゆる物を眺める事が出来ます。

自然の秋の景色を見るのと同じ様に、単にそれを眺める事が出来ます。

同じ様に、好みの空想があり、空想としてやってきて、空想として去ります。

何かを欲する時にだけ問題があります。

クリシュナ神は、意のままに感覚器官をその対象物から

自分自身の中に引き下げる能力を亀の例えを使い述べています。

その能力は、知識[ニャーナ]をしっかり定着[ニシュター]させ得るでしょう。

この様に、自分自身を準備している人にとって

知識はそれ程遠いものではないでしょう。

とてもシンプルな事です。

また、この詩の中で言われている事は

マインドや感覚器官の機能を理解する為で

誰かをジャッジする為ではありません。

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