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ギーターヨーガ

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【ギーター】第2章58番目の詩

यदा संहरते चायं कूर्मोऽङ्गानीव सर्वशः ।

yadā saṃharate cāyaṃ kūrmo'ṅgānīva sarvaśaḥ |

इन्द्रियाणीन्द्रियार्थेभ्यस्तस्य प्रज्ञा प्रतिष्ठिता ॥२.५८॥

indriyāṇīndriyārthebhyastasya prajñā pratiṣṭhitā ||2.58||

ちょうど亀がその手足を引っ込めるように、その人が、感覚器官の対象物から感覚器官を完全に引き下げることのできるとき、彼の知識はしっかりとしています。

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この詩では、アルジュナの「賢者はどのように世界と関わるのか」という問いに対し、賢者が自身の考えや感覚器官を自在に扱う能力について述べられています。

知識を持っていても、それが日常生活で機能するためには、感覚器官を対象から自由に引き下げる力が必要です。

多くの人は、自分の目が勝手にあちこちへ向いてしまうように、感覚器官に振り回されます。

しかし、知識がしっかりと定着した賢者は、感覚器官を悪者とせず、自らの意志によって適切にコントロールすることができるのです。

感覚器官はとがめられるべきではない

感覚器官[indriya]は本来、周囲の状況をありのままに伝える「レポーター」や「知識の道具[pramāṇa]」にすぎず、それ自体に善悪はありません。

問題は、そのレポートを受け取った「考え」が勝手に好みの空想(欲求)を膨らませ、その空想に引きずられて我を失ってしまうことにあります。

多くの人は感覚器官のレポートに翻弄される「犠牲者」となっていますが、実際には感覚器官が悪いのではなく、「空想」にハイジャックされた考えにあります。

スティタ・プラッニャは、感覚器官を否定するのではなく、自らの意志でそれらを制御し、必要に応じて対象から引き下げることができます。

賢者は、衝動的な「好みの空想」に突き動かされるのではなく、自らの「決心」に基づいて行動します。

自身の許可なしに感覚的な追求が始まることはないため、賢者は常に自己の知識の中に、揺るぎなく留まり続けます。

誰でも感覚器官を引き下げることができる

スティタ・プラッグニャ、あるいはそうありたいと願う探求者にとって不可欠な、感覚器官を制御する能力について、クリシュナは、「亀[kūrma]」に例えています。

亀が危険を察知した際に、手足や首を堅い殻の中に引き込めるように、人間もまた、感覚器官を対象物から自分自身の中へと引き下げる「心の殻」を持っています。

賢者にとって、この撤収能力はすでに完成された自然な表現であり、それによって知識を揺るぎないものにしています。

一方で探求者にとっては、この能力を養うことこそが知識を得るための重要な準備となります。

大切なのは、感覚器官を完全に閉ざすことではなく、秋の紅葉をただ愛でるように、過剰な「欲求」や「空想」に囚われず、対象をあるがままに受け入れることです。

この詩の教えは、他者をジャッジするためのものではなく、与えられた考えと感覚器官という道具を正しく理解するためのものです。