विषयाः 1/3 विनिवर्तन्ते III/3 निराहारस्य 6/1 देहिनः 6/1 ।
रसवर्जम् 0 रसः 1/1 अपि 0 अस्य 6/1 परम् 2/1 दृष्ट्वा 0 निवर्तते III/1 ॥२.५९॥
肉体を装い、五感を養わない人にとっては、五感は欲望を残し自分自身に戻ります
ブランマンを知るならば、その欲求さえ消えてしまいます[2-59]
好みの空想に進まなくても、
好みの感覚[ラサ]はそこに残ります。
意志の力で、無理やり
感覚器官を対象物から引き下げるなら
それは引き下げるではなく、押さえつける練習です。
全てのものが内側に抑え込まれるので
遅かれ早かれ爆発し
再び感覚器官に乗っ取られます。
瞑想に価値を見出している人
内面を満たすべく、感覚器官を引き下げる練習をする人も
感覚的な喜びの価値を持ち続けます。
では、この好みの感覚[ラサ]に対する
主観的価値は、消え去りますか?
「消え去りません」
主観的価値は、感情的な価値です。
感情は人生の一部。
それは、無視できませんし
無視する必要もありません。
感情は、尊重される必要があり
完全に感情に圧倒され得るので
それにどう取り組むかを知るべきです。
主観的価値である感情的な価値は
客観的価値である知的な価値とは違います。
お金が私を安全にしないと分かっていたとしても
お金に対する感情的な価値は消えません。
もし、お金に感情的な価値がないにしても
生きる為にお金は必要という、知的な価値があります。
お金に価値がない、というのは正しくありません。
感情的な価値で言うなら
昔から、お金で成功を計る風習が
その人の中にあるのであれば
その人は、それを成し得ていない
という感覚が残ります。
無視する事の出来ない
主観的で、感情的な価値なのです。
その価値を抑え、蓋をしてしまうのは違います。
感覚器官を引き下げる修練に専念する人は
何がゴールを識別した人[ヴィヴェーキー]でも
未だ混乱する人[ムールカ アピ]でもあり得ます。
感覚の対象物から引き下げられた感覚器官は
自分自身に戻ってきますが
その対象物の体験が残ります。
[ラサ・ヴァルジャム ヴィニヴァルタンテー]
主観的で、感情的な価値は、未だそこにあるのです。
勘違いで、単に修行[タパス]をする
人を駆り立てる知的価値もまたそこにあります。
未だ混乱する人[ムールカ アピ]は
主観的価値と知的価値の両方を持ち得ます。
何がゴールを識別した人[ヴィヴェーキー]は
知的価値ではなく、ただ主観的価値を持ちます。
クリシュナはアルジュナに
どの様に主観的価値を扱うかを述べます。
次回の勉強会でそれを見ていきましょう。
次回の勉強会は8月1日(土)11:20~12:50
引き続き第59番目の詩を読み進めます。
ありがとうございました。
千葉市中央区ヨガ教室「ギーターヨーガ」ヤムナー