यततः 6/1 हि 0 अपि 0 कौन्तेय 8/1 पुरुषस्य 6/1 विपश्चितः 6/1 ।
इन्द्रियाणि 1/3 प्रमाथीनि 1/3 हरन्ति III/3 प्रसभम् 0 मनः 2/1 ॥२.६०॥
何故ならアルジュナよ 努力し、はっきりと見ている人ですら
その強力な感覚器官は、考えを力ずくで奪い去るのです[2-60]
その人の支配下にある時
自分自身の知識のしっかりとした
安定が成し遂げられます。
最初は、感覚器官を
手の内に収める為に、意志が使われます。
例えその人がヴィヴェーキーで
確かな知識があっても
感覚器官の好みの経験[ラサ]が
未だそこにあるので、注意深く扱うのです。
注意深さに欠けるなら
その人はラーガ・ドヴェーシャの支配下に
自分自身を与えてしまいます。
努力する人[ヤタタハ]は、ヴィヴェーカのある人
物事をはっきり見る人[ヴィパシュチト]です。
この人は、コミットメントがあり
この知識の中に揺るぎなさ[ニシュター]を得る為に努力します。
しかし、感覚の欲求は、とても強力です。
力づくで揺さぶります。
ヴィヴェーキーの考えすら運び去ると
この詩でクリシュナは言いました。
感覚の欲求は支配し始めます。
それは、好みの経験[ラサ]があり
感覚の欲求が、支配し続けるのです。
感覚の対象に未だ価値があるので
感覚器官は、様々な空想(記憶を含む考え)
を引き起こします。
感覚器官、ラサが、手玉にとり
その人のヴィヴェーカを奪ります。
これらのラサに対応する唯一の方法は
この知識の中にしっかりとした定着[スティラ]する事です。
59番、60番目の詩で
知識に根付くための手段[サーダナ]
考えと感覚器官の統制(シャマ、ダマ)と
教えを熟考する事についてが語られました。
次回の勉強会は9月5日(土)11:20~12:50
第61番目の詩を読み進めます。
ありがとうございました。
千葉市中央区ヨガ教室「ギーターヨーガ」ヤムナー