2020/09/19【ギーター】第2章62番目の詩
ध्यायतोविषयान्पुंसःसङ्गस्तेषूपजायते
dhyāyataḥ viṣayān puṃsaḥ sangaḥ teṣu upajāyate|
सङ्गात्सञ्जायतेकामःकामात्क्रोधोऽभिजायते ॥२.६२。
sangāt sañjāyate kāmaḥ kāmāt krodhaḥ abhijāyate|| 2.62 ||
対象物を思う人に、それに関する愛着が生まれ
執着から欲求が生まれ、欲求から怒りが生まれます[2-62]
欲求の対象物は、1つ1つが独特で
価値あるものです。
その物自体が、望まれるわけではありません。
それが、望ましい物だと見なされる為
それを手に入れたいと望みます。
(ex:アイスクリーム自体が喜びではなく
アイスクリームを食べる時
悩み等が去るので、それを求める。)
この詩の中で述べられる人は
内側の自分[プラッテャグ・アートマー]
に瞑想するのではなく
あらゆる物が持つ
独特の望ましさに瞑想します。
瞑想とは何かをずっと思い続ける事です。
瞑想は1つの対象物
それに繋がる何かに対する絶え間ない考えです。
[sajātīya-vṛtti-pravāha]
—
【瞑想(ウパーサナ)の定義】
सगुणब्रह्म-विषय-सजातीय-वृत्ति-प्रवाह-
saguṇabrahma-viṣaya-sajātīya-vṛtti-pravāha-
イーシュワラに属する対象にヴルッティは常に流れ
विजातीय-वृत्ति-रहित-मानस-व्यापारः
vijātīya-vṛtti-rahita-mānasa-vyāpāraḥ
他のヴルッティはなく、その考えで埋め尽くされる
—
最初に、対象物や人と接触[サンガ]を持ちます。
頭に甦ってくるものと、そうでないものがありますが
「頭の中に甦るのはなぜ?」という理由は
この五感で捉えられる世界の範囲では見えません。
体験は、何らかの記憶[スムルティ]を残し
その体験の衝撃で
全感覚が考えに甦るものもあります。
それに、好みを抱き、望むようになります。
この段階も問題はありません。
クリシュナがこの詩で描写している人は
それを思い、賛辞し続け
それがいないと、生活が空しいと思う人です。
愛情そのものに問題はなく
問題は、それを常に所有していたいと思う事です。
次回の勉強会はこの続き
「怒りの現れ」について見ていきます。
引き続き、10月03日(土)11:20~12:50でも
第62、63番目の詩を更に深めましょう。