千葉県立 青葉の森公園近くの小さなヨガ教室

ギーターヨーガ

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【ギーター】第2章62番目の詩

ध्यायतोविषयान्पुंसःसङ्गस्तेषूपजायते

dhyāyataḥ viṣayān puṃsaḥ saṅgaḥ teṣu upajāyate|

सङ्गात्सञ्जायतेकामःकामात्क्रोधोऽभिजायते ॥२.६२。

saṅgāt sañjāyate kāmaḥ kāmāt krodhaḥ abhijāyate|| 2.62 ||

対象物を思う人に、それに関する愛着が生まれ

執着から欲求が生まれ、欲求から怒りが生まれます[2-62]

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ここでは、欲望がどのように芽生えるかの初期段階が説明されています。

対象物そのものに「望ましさ」が備わっているのではなく、私たちの心がそれを「望ましい」と思い描く(投影する)ことで、対象は価値を持ち始めます。

ここで「瞑想」とは、対象物を思うこと、何かをずっと思い続けることです。

本来、内側の自分自身[pratyagātmā]に向けられるべき瞑想が、外側の対象物に向けられてしまうことが問題の始まりです。

一度の接触で終われば問題ありませんが、その体験が記憶[smṛti]として残り、対象の細部(姿、声、振る舞いなど)について繰り返し考え続ける[sajātīya-vṛtti-pravāha]ことで、次第に愛着が育まれていきます。

favicon瞑想[upāsana]の定義

सगुणब्रह्म-विषय-सजातीय-वृत्ति-प्रवाह-विजातीय-वृत्ति-रहित-मानस-व्यापारः

saguṇabrahma-viṣaya-sajātīya-vṛtti-pravāha-vijātīya-vṛtti-rahita-mānasa-vyāpāraḥ

イーシュワラに属する対象にヴルッティは常に流れ、他のヴルッティはなく、その考えで埋め尽くされる

執着の瞑想 

微笑みを浮かべて瞑想しているように見えても、それがサト・チト・アーナンダではなく、過去の心地よい記憶や対象に向けられているなら、それは「執着[saṅga]」の始まりです。

執着は、猫や家具といった無機質なものや動物に対してさえ、世話をし、考え続けるだけで育ちます。

ましてや、心地よい言葉をかけてくれる人間に対して、強い愛着が生まれるのは自然なことです。

愛着そのものは中立ですが、それが「常に所有したい」「体験したい」という強いカーマに変わるとき、自由が失われます。

ダイレクトメールが何度も届くことで、忘れかけていた記憶が刺激され、次第に執着が育ち、「どうしても旅行に行きたい」という欲求が作られるプロセスは、私たちの心が外側の刺激によっていかに簡単に操作され、欲望を増幅させてしまうかを示しています。

欲求の全てが満たされ得るということはない

欲求が単なる思いつきを超えて明確な形になると、それは人を「満たさなければならない」という強迫的な行動へと駆り立てます。

しかし、現実はすべての欲求を簡単には満たしてくれません。

ここで「期待」が重要な役割を果たします。

欲求が満たされることを強く期待しているとき、その期待が裏切られたり、何らかの障害物に阻まれたりすると、欲求は形を変えて「怒り[krodha]」として爆発します。

怒りの大きさは、その欲求の激しさに比例します。

自分と対象の間に立ちはだかる人、あるいは期待通りに動かない人が怒りの的となり、時にはその背後にいる第三者にまで怒りの矛先が向けられることもあります。

怒りは、常に満たされない欲求の変形なのです。