千葉県立 青葉の森公園近くの小さなヨガ教室

ギーターヨーガ

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【ギーター】第2章64番目の詩

रागद्वेषवियुक्तैस्तु विषयानिन्द्रियैश्चरन् ।

raga-dveṣa-viyuktais tu viṣayān indriyaiś caran |

आत्मवश्यैर्विधेयात्मा प्रसादमधिगच्छति ॥२.६४॥

ātmavaśyair vidheyātmā prasādam adhigacchati ||2.64||

しかしながら、物質の世界の中で動きながら、感覚器官を自分の抑制のもとに置くことで好きと嫌いから自由を得て、考えが抑制されている人は、静寂を得るでしょう。

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ヴィヴェーカを持つ探求者であっても、外側の対象に対するラーガ・ドヴェーシャがすぐに消えるわけではありません。

嫌いなものを避けようとすること、好きなものを得ようとすることに考えを置き続ける(瞑想する)ことは、さらなる執着と欲求を生み、最終的に自己を見失う転落の引き金となります。

ムムクシュは、アルタ・カーマの追求を経験し、それらの限界を知ることでモークシャが唯一の目的となりました。

しかし、アルジュナのように、知識を得た後でも感情的な反応や復讐心、執着は残り得ます。

だからこそ、知識がしっかりと定着し、ラーガ・ドヴェーシャが中和されるまでの間、人は、カルマ・ヨーガの人生を歩み続ける必要があるのです。

カルマ・ヨーギーはムムクシュです 

ムムクシュ、カルマ・ヨーギーである人は、世界から逃避するのではなく、感覚の対象(世界)を体験しながら生きています。

ここでの動く[cara]とは、物理的な移動だけでなく、世界を体験し、知ることを意味します。

彼らの最大の特徴は、感覚器官がラーガ・ドヴェーシャの支配下ではなく、自分自身の支配下[ātma-vaśya]にあることです。

行動の基準はラーガ・ドヴェーシャではなく、それが適切か[dharma]、不適切か[adharma]という意志によって決定されます。

このように考えが整った人は、満足や、穏やかな状態[prasāda]」を得ます。

プラサーダは、神[īśvara]から来る何かであると、すでに私たちは見てきました。けれども、プラサーダは、このような意味もあります。

ラーガ・ドヴェーシャの影響力を無力化し、知識を安定させることが、ギーター全体の心理学です。