2020-11-01

【ギーター】第2章65番目の詩

2020/10/31

प्रसादे सर्वदुःखानां हानिरस्योपजायते ।

prasāde sarva-duḥkhānāṃ hāniḥ asya upajāyate |

प्रसन्नचेतसो ह्याशु बुद्धिः पर्यवतिष्ठते ॥२.६५॥

prasannacetasaḥ hi āśu buddhi paryavatiṣṭhate ||2.65||

考えが穏やかである時

全ての痛みと悲しみの破壊は

落ち着いている考えである人の知識が

直ぐに確立されるので起こります[2-65]

制御された考えの人は

好きや嫌いが基盤ではなく

ダルマ、イーシュワラを基盤とした

感覚器官で世界を体験します。

ラーガ・ドヴェーシャは中和され

快活な、落ち着いた、穏やかな考えを得ます。

考えが穏やかな人の

全ての苦しみや悲しみ[ドゥッカ]は破壊されます。

・外界の人々や状況で起きる悲しみ[ādhibhautika-duḥkha]

・私の手の内にはない災難で起きる悲しみ[ādhidaivika-duḥkha]

・私の体、考え、感覚器官で起きる悲しみ[ādhyātmika-duḥkha]

ドゥッカが複数形で使われているのは

悲しみには、これら3つの原因があるからです。

王国を失おうが、髪の毛を失おうが

様々な原因があるとしても

悲しみは同じです。

それは、原因が何であれ

穏やかな考えの人にとっては

それは、破壊されてしまうのです。

しかし、悲しみの原因自体は

もちろん去りません。

単に悲しみが起こらないだけです。

体は、物理的な痛みを体験しても

考えが穏やか[プラサンナ]ですから

悲しみはないでしょう。

穏やかな考えとは

ラーガ・ドヴェーシャが中和され

好ましい状況、好ましくない状況にも

リアクションがありません。

全ての悲しみが、破壊されるのは

自分自身の本質が、穏やかであるからです。

そして、その穏やかさが

考えに現われます。

ラーガ・ドヴェーシャが考えを息苦しくします。

そのラーガ・ドヴェーシャが中和された時

私の本質である満足[アーナンダ]は妨げられず

考えは穏やかです。

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