2020/10/31
प्रसादे सर्वदुःखानां हानिरस्योपजायते ।
prasāde sarva-duḥkhānāṃ hāniḥ asya upajāyate |
प्रसन्नचेतसो ह्याशु बुद्धिः पर्यवतिष्ठते ॥२.६५॥
prasannacetasaḥ hi āśu buddhi paryavatiṣṭhate ||2.65||
考えが穏やかである時
全ての痛みと悲しみの破壊は
落ち着いている考えである人の知識が
直ぐに確立されるので起こります[2-65]
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制御された考えの人は
好きや嫌いが基盤ではなく
ダルマ、イーシュワラを基盤とした
感覚器官で世界を体験します。
ラーガ・ドヴェーシャは中和され
快活な、落ち着いた、穏やかな考えを得ます。
考えが穏やかな人の
全ての苦しみや悲しみ[ドゥッカ]は破壊されます。
・外界の人々や状況で起きる悲しみ[ādhibhautika-duḥkha]
・私の手の内にはない災難で起きる悲しみ[ādhidaivika-duḥkha]
・私の体、考え、感覚器官で起きる悲しみ[ādhyātmika-duḥkha]
ドゥッカが複数形で使われているのは
悲しみには、これら3つの原因があるからです。
王国を失おうが、髪の毛を失おうが
様々な原因があるとしても
悲しみは同じです。
それは、原因が何であれ
穏やかな考えの人にとっては
それは、破壊されてしまうのです。
しかし、悲しみの原因自体は
もちろん去りません。
単に悲しみが起こらないだけです。
体は、物理的な痛みを体験しても
考えが穏やか[プラサンナ]ですから
悲しみはないでしょう。
穏やかな考えとは
ラーガ・ドヴェーシャが中和され
好ましい状況、好ましくない状況にも
リアクションがありません。
全ての悲しみが、破壊されるのは
自分自身の本質が、穏やかであるからです。
そして、その穏やかさが
考えに現われます。
ラーガ・ドヴェーシャが考えを息苦しくします。
そのラーガ・ドヴェーシャが中和された時
私の本質である満足[アーナンダ]は妨げられず
考えは穏やかです。