
प्रसादे सर्वदुःखानां हानिरस्योपजायते ।
prasāde sarva-duḥkhānāṃ hāniḥ asya upajāyate |
प्रसन्नचेतसो ह्याशु बुद्धिः पर्यवतिष्ठते ॥२.६५॥
prasannacetasaḥ hi āśu buddhi paryavatiṣṭhate ||2.65||
考えが穏やかであるとき、落ち着いている考えである人の知識は、すぐに、成し遂げられるので、全ての苦しみや悲しみの破壊が起こります。
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自分の意志で考えを導き、ラーガ・ドヴェーシャに支配されずに世界を体験する人は、内なる快活さと穏やかさを得ます。
この穏やかな心を持つ人にとって、あらゆる悲しみ[duḥkha]は破壊されます。
悲しみ[duḥkha]には、の3つの原因があるので、ここでは複数形で述べられます。
1.対人関係などの外的な要因[ādhibhautika-duḥkha]
2.不可抗力な災難[ādhidaivika-duḥkha]
3.自身の心身に起因するもの[ādhyātmika-duḥkha]
心が穏やか[prasanna]であれば、その源が何であれ悲しみとして成立しなくなります。
これは、苦しみの原因(状況や身体的痛み)が消え去るという意味ではなく、状況に対して心がリアクションを起こさなくなるという意味です。
本来、私たちの本質はアーナンダですが、ラーガ・ドヴェーシャがそれを覆い隠し、息苦しくさせています。
それらが無力化されたとき、妨げられていた本来の満足が考えに現れ、すべての苦しみは自然に消滅していくのです。
◎穏やかな考えとは、知識がそれほど遠くはないことを意味しています
単なる「穏やかさ」だけで苦しみが完全に消えるわけではありません。
真の解決は、その穏やかな考えを土台として、自分自身の知識[ātma-jñāna]が揺るぎなく定着したときにのみ起こります。
穏やかな心は、知識を安定させるための必須条件です。
ラーガ・ドヴェーシャによる葛藤や疑いがある限り、知識はあいまいで不安定なままです。
しかし、ラーガ・ドヴェーシャが処理され、考えが空間のように安定したとき、知識はあらゆる障害から自由になり、自分自身が、知識そのものとしてとどまるようになります。
このスティタ・プラッニャにおいて、初めて全てのドゥッカは根底から破壊され、人はモークシャを得ます。
