2020-11-30

【ギーター】第2章67番目の詩

2020/11/21

इन्द्रियाणां हि चरतां यन्मनोऽनुविधीयते ।

indriyāṇāṃ hi caratāṃ yat manaḥ anuvidhīyate |

तदस्य हरति प्रज्ञां वायुर्नावमिवाम्भसि ॥२.६७॥

tat asya harati prajñāṃ vāyuḥ nāvam iva ambhasi ||2.67||

水上で小さな船を風が運び去る様に

動き回る感覚器官に連れ去られる考えは

まさに、知識を奪います[2-66]

考えは、それぞれの活動エリア従い

動く感覚器官全ての後を着いて行きます。

例えば、目は色や形を見るという分野で

耳は、音に関する分野です。

それぞれの感覚器官に、それぞれの活動エリアがあり

感覚器官が、それぞれのエリアで対象物を体験し

自然と考えは何らかの空想に流され

感覚器官が切望するままに従います。

この詩で話されている人の考えは

感覚器官の認識と繋り

内側に、何らかの切望や空想を持ちます。

その人の自分自身の知識は

去ってしまった同然です。

クリシュナは、この点を例える為に

小さな船の目的地を

奪い去ってしまう風の例えを使います。

自分自身の知識が奪い去られ

考えはその対象物だけに忙しく関わります。

多くのラーガ・ドヴェーシャがあり

そこに時間を費やし

自分自身の知識の為の時間がありません。

あなたが望むような状況は起こらず

心配事が常にあり、その心配の形は

やがて欲望や、残念さ、失望、悲しみ、落胆、

不安、絶え間なく何かを失っている感覚などの形となります。

考えが対象物で占領された時、心配が起こります。

ところが自分自身[アートマー]で占められた時

心配がなく、ただ穏やかさがあります。

私自身は何処かへ行ってしまったりせず、じっとしてます。

20年後にあなたが戻って来たとしても

アートマーはまだ、サット・チット・アーナンダ。

どんな本を読んだとしても

アートマーは、アサット・チット・アーナンダに成長しません。

知識の対象が自分自身[アートマー]なら

あなたにはアーナンダがあります。

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