
तस्माद्यस्य महाबाहो निगृहीतानि सर्वशः ।
tasmāt5/1 yasya6/1 mahābāho8/1 nigṛhītāni1/3 sarvaśaḥ0 |
इन्द्रियाणीन्द्रियार्थेभ्यस्तस्य प्रज्ञा प्रतिष्ठिता ॥२.६८॥
indriyāṇi1/3 indriyārthebhyaḥ5/3 tasya6/1 prajñā1/1 pratiṣṭhitā1/1 ||2.68||
ですから、力強く武装されたアルジュナよ。感覚器官が完全にその全ての対象物から引き下げられた人の知識は、しっかりととどまります。
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それゆえに[tasmāt]」という言葉で、クリシュナはこれまでの議論を総括します。
感覚器官は強固に乱暴で、知識を奪い去ろうとします。
アルジュナは、外側の敵を倒す武勇を備えた人[mahābāhu]ですが、今求められているのは、内側の敵(ラーガ・ドヴェーシャ)を制御する強さです。
感覚の制御とは、カメが危険を察知して手足を殻に引っ込めるように、意のままに、感覚を対象から引き離せる能力を指します。
感覚があなたの支配下にあり、ラーガ・ドヴェーシャの圧力が無力化されているとき、知識は初めて完璧なものとして定着します。
望みが叶っても叶わなくても、自分の内側の平穏に違いが生じません。
◎考えを自由に扱えることと、知識は、密接な関係にある
知識が明確であることと、ラーガ・ドヴェーシャの統御には、密接な「相互関係」があります。
カルマ・ヨーガの心構えによってラーガ・ドヴェーシャが中和されると、心に朗らかさ[prasāda]が生まれ、知識はより鮮明になります。
逆に、知識が深まるほど、ラーガ・ドヴェーシャによる心の抑圧は自然と少なくなります。
ギーターの心理学は、まさにこのラーガ・ドヴェーシャを扱うことであり、それは宇宙の秩序[dharma]や、結果を返す人[īśvara]を理解することでもあります。
鳥が空へ飛び立つために2つの翼を必要とするように、私たちが自由へと飛び立つためには、「知識」と「正しい心構え(カルマ・ヨーガ)」の両方の翼が必要です。
