【ギーター】第2章69番目の詩①
2020/12/19
या निशा सर्वभूतानां तस्यां जागर्ति संयमी ।
yā niśā sarvabhūtānāṃ tasyāṃ jāgarti saṃyamī |
यस्यां जाग्रति भूतानि सा निशा पश्यतो मुनेः ॥२.६९॥
yasyāṃ jāgrati bhūtāni sā niśā paśyato muneḥ ||2.69||
全ての生きものにとっての夜の中で
自分を熟知している賢者は目覚めています
生きものが目覚めているその中に
気づいている賢者にとっては夜です。[2-69]
–
”賢者は、どの様に世界と関わるのか?”
というアルジュナの質問に答え
クリシュナは、どの様な人が賢者であるのかを知る為に
アルジュナ自身が賢明であるべきだということを
今迄の詩で説明してきたものの
賢者についての描写が完全でなかったことから
ここで興味深い詩を加えました。
クリシュナの言いたかった要点は
賢者でない人は、賢くならないと
賢者を本当には理解出来ないということ。
夢の中に居る時、まさか自分が夢の中に居るとは
目覚めるまで信じて疑わない様に
賢者でない人も、目覚めないと(賢くならないと)
真実(賢者を)を本当に理解できないということです。
クリシュナは、このことを
全ての人にとっての夜は、考えや感覚器官が
その人自身と共にある賢者にとっての昼である
と例え、その様な人はサムヤミーと呼ばれました。
考えや感覚器官を自由に扱う事、制御すること[ヤマ]
知識と共に、ヤマ出来る人が、サムヤミーです。
更にクリシュナは言いました。
賢者以外の人にとっての昼は
ムニと呼ばれる賢者にとっての夜である。
ムニとは、物事をはっきりと見る人[マナナシーラ]です。
このはっきりとした洞察力の人には
全ての人が昼だと思う状態が夜なのです。
全ての生き物が目覚めている時、賢者は眠り
全ての生き物がが眠っている時、賢者は目覚めています。
賢者が、コウモリの様に夜行性だということではなく
暗闇では、あるがままにものが見えない様に
知識がハッキリしていない事とは
つまり無知[アヴィッデャー]であるということです。
人々は、この無知の眠りの中で
夢遊病者の様に、活動してても眠っています。
ある種のリアリティに目覚めていません。
完全なる熟睡、あるいは無知
そして、完全な目覚めには問題はありません。
問題は夢の中の様に、半分起きていること。
間違いが起こる可能性のある状態です。