千葉県立 青葉の森公園近くの小さなヨガ教室

ギーターヨーガ

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【ギーター】第6章05番目の詩

उद्धरेदात्मनात्मानं नात्मानमवसादयेत् ।

uddharedātmanātmānaṃ nātmānamavasādayet |

आत्मैव ह्यात्मनो बन्धुरात्मैव रिपुरात्मनः ॥६.५॥

ātmaiva hyātmano bandhurātmaiva ripurātmanaḥ ||6.5||

自分自身によって、自分自身を救いますように。自分自身で、自分自身を台無しにしませんように。自分自身のみが、自分自身に恩恵を与える者であり、自分自身のみが、自分自身の敵なのです。

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人は自分自身を救い出さなければならず、決して自分を台無しにしてはなりません。

自分自身こそが、自分に恩恵を与える存在であり、同時にその恩恵を受け取る当事者でもあります。

自分自身を「素晴らしい助っ人」とできる一方で、自らの敵となってしまう可能性も秘めています。

サムサーラという海から自分を引き揚げ、救い出すことができるのは、他の誰でもなく自分自身だけです。

お金、権力、健康、死といった不安要素から逃れ、安全でありたいと願う全ての活動は、本質的に自己の安心と幸福のためのものです。

あらゆる行いは、究極的には「安全でない状態」から自分を救い出すための活動と言えます。

ヨーガ・アールーダ、つまりサルヴァ・サンカルパ・サンニャーシーは、このような全ての束縛から自分自身を完全に救い出した人です。

◎根本的な問題の理解

多くの人は、ラーガ・ドヴェーシャという感情の魔力に突き動かされて生きています。

この枠組みの中では、怒りや悲しみさえも正当化されてしまいますが、この生き方そのものに真剣な疑問を抱くことが探求の始まりとなります。

現状の人生に対して根本的な問いを持つことで、初めて問題の本質を理解する準備が整います。

これには未熟な対処ではなく、知恵に基づいた成熟した向き合い方が必要です。

盲目的な祈りではなく、イーシュワラを理解し受け入れた「祈りに満ちた生活」がカルマ・ヨーガです。

この生き方は、自身の内側に熟考し瞑想する力をもたらします。

カルマ・ヨーガの実践によって培われた態度は、自然に自分自身についての知識へとつながります。

このように、正しい生き方が知識をもたらすことは明白です。

◎自らを助ける

人は、自身の価値観や優先順位の混乱に疑問を持つことから救済を始めます。

探求[vicāra]を通じて、何が正しく何が間違っているかを見極め、世界観を認識的に変容させていくことが第一段階です。

探求が進むと、自分自身の無力さを理解します。

この理解がイーシュワラへの理解と祈りを呼び起こし、自己を制御できる人[vaśī]へと成長させます。

知識を求めてグルのもとへ行くことも含め、すべての向上は自分自身の意志と努力、すなわち自分自身によって[ātmanā]なされます。

自分を救い、向上させることができるのは自分自身しかいません。

これが「自分自身こそが自分自身の友である[ātmā eva ātmanaḥ bandhuḥ]」という言葉の真意です。

◎あなたの敵

サンサーリーとして生まれたこと自体が困難を伴います。

さらに自分の考えが整わず、価値観が混乱したままであれば、自分だけでなく周囲の人生までも混乱に陥れてしまいます。

自分の考えや意志が正しく使われなかったり、誤った方向に使われたりするとき、それは自分を助けるどころか、自分に敵対し足を引っ張る存在に変わります[ātmā eva ātmanaḥ ripuḥ]。

「自分は愚かだ」という誤った観念に支配され、自分を粗末に扱うことを許容しているのは、他ならぬ自分自身の意志です。

自分が馬鹿にされるような状況を放置し、それを認めてしまっている状態こそが、決定的な愚かさであり、自己が自分の敵である証拠です。

人生の困難において他人を非難しても解決にはなりません。

自分を苦しめている真の原因は、自分自身の内側にある「敵」としての考えにあることを理解しなければなりません。

◎自分自身を見下さないこと

「自分自身を見下げてはいけない[ātmānam na avasādayet]」という言葉は、物事の見方や理解を変えることを求めています。

意志を正しく使い、自分を卑下することなく変化を起こすことが大切です。

もし幼少期に適切に扱われず問題を抱えているなら、大人になった自分自身が、自分の中の「子供」の母親となって面倒をみなければなりません。

自分自身を向上させる[ātmānam uddharet]とは、自らの友となり、自らを育むことを意味します。

この自分自身とは、体・考え・感覚の集まり[kār ya karaṇa saṅghāta]です。

これらが意志を伴い正しく機能すれば、自分自身の強力な後援者[bandhu]となり、誤って機能すれば自分を縛る敵[ripu]となります。

サムサーラの中で成長するために他者の助けが必要な局面もありますが、そこから完全に自由になるためには、自分自身で自分を解き放つしかありません。

他者との情愛的な絆は、情緒的な成長を助ける一方で、最終的には束縛や障害にもなり得ます。

ですから、自分を救える外的な力は存在しません。

自分自身が自分の友人になれないのであれば、結果として自分の足を引っ張る敵になってしまうのです。

この詩は、絶対的な意味でも読み取ることができますが、あらゆる段階において「自分自身を見下げず、自分自身を向上させますように」と言うことが出来ます。