
सङ्कल्पप्रभवान्कामांस्त्यक्त्वा सर्वानशेषतः ।
saṅkalpaprabhavānkāmāṃstyaktvā sarvānaśeṣataḥ |
मनसैवेन्द्रियग्रामं विनियम्य समन्ततः ॥६.२४॥
manasaivendriyagrāmaṃ viniyamya samantataḥ ||6.24||
考え[saṅkalpa]から生まれる、その全ての欲望を完全に手放して、感覚器官、行動 器官の集合体を、考えだけで完全に引き下げて、
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ここでのヨーガの定義は、一般的な「結びつき」というイメージとは対照的に、悲しみ[duḥkha]との「分離[viyoga]」として語られています。
それは身体や思考、感覚の複合体と自分自身を同一視している誤った関係を断つことであり、知識を通じてのみ成し遂げられるものです。
クリシュナはこの追求を、山登りのような困難な獲得ではなく、手に持っている石をそっと放すような「手放すプロセス」に例えています。
限定された自己像から自分を切り離すだけのことであるため、そこには絶望や落胆の余地はなく、晴れやかな考えで取り組むべきものだ述べます。
根深くあるこの勘違いについて、クリシュナは何度も議論します。
◎あらゆる願望の基盤
クリシュナは「考えから生まれる、その全ての欲望を完全に手放す[saṅkalpa- prabhavān sarvān kāmāṃ aśeṣataḥ tyaktvā]」と言いました。
欲望の原因となるのが、サンカルパで、この詩におけるサンカルパは、何に価値を持っているかの考えのことを指します。
サンカルパは現れては去るものですが、欲望になると、何度も思い出し、
この詩で言われている「完全に手放されます」とは、欲望ではなく、欲望の源であるサンカルパです。
価値構造の混乱した、
イーシュワラに生かされていることを知るのであれば、勘違いのサンカルパは手放され、
祈りにおけるサンカルパ
祈りにおいてサンカルパとは、思考能力を使う行為[mānasa-karma]です。
人間が自由意志を使った行為は、3種類に分類されます。
1.思考能力を使う行為[mānasa-karma]
2.言葉を使う行為[vācika-karma]
3.手足などの身体を使う行為[kāyika-karma]
最初に、思考能力を使い、思考が言葉や身体を通して現れますから、自由意志を使い意識的に「思考を使う」=サンカルパをすることは、人間としてとても大事なのです。
言葉や行動を意味のあるものにするのが、サンカルパです。
成熟した人は、何かしらの行動を起こす前に、「今から私は、~を達成させる為に、~します」と決心し、自分に宣言し、この「サンカルパ」という行為を、意識的に行います。
反対に、サンカルパしないなら、人間の特権である自由意志を使わず、考えにただ反応し、機械的に発言・行動しているということになります。
自由意志を与えられた人間は、世の中で生き延びる為、選択の余地が与えられないラーガ・ドヴェーシャにさらされることがあり、このラーガ・ドヴェーシャにさらされた願望、すなわち欲望を持つ時、人は、与えられた自由意志を自由に使えなくなります。
ですから、サンカルパそのものを分析し、扱う必要があります。
祈りという行為においてサンカルパには、「総体的な祈り」と「個人的な祈り」の2種類があり、個人的な祈りは、「私は行い手である」、「私は体験者である」という観念を表わしています。
第6章4番目の詩の、全てのサンカルパを手放した人[サルヴァ・サンカルパ・サンニャーシー]は、行い手であるという観念がありませから、「個人的な祈り」はなく、「総体的な祈り」のみがあります。
「個人的な祈り」は、はじめ、お金や、子宝など、自分を幸せにしてくれるであろう物であるかもしれませんが、祈りの内容を常に見直し、更新していくことでサンカルパが育ち、より意味のある人生の目的をみつけることができ、穏やかで安定した考えを得ます。
その穏やかで安定した考えを得た人、お金や物が自分自身を幸せにしたりしないことを見極めたヨーギーのサンカルパは「自分自身の精神的な成長」です。
「総体的な祈り」とは、「生きとし生けるもの全てが幸せになれますように」という祈りです。
日々祈るうちに、この祈りの意味が見えてきます。
その全体の調和や平和、幸せを願う姿勢が、考え方に反映され、行動基準が、自己中心的から調和的へとシフトしていきます。
その人は、与えられていることを理解し、ちっぽけで取るに足らない自分から、寛大で平和な自分へと成長を遂げます。
物事を見る目を、広く、深くし、ゆとりや思いやりを与えてくれます。
その成熟した考えである人が、あるがままを見るのです。
◎感覚器官を引き下げる
見極めのある考えによってのみ[manasā eva]、感覚器官の集まりが、完全に引き下げられなければならないと、クリシュナは繰り返しています。
感覚器官と行動器官[indriya]の集まり[grāma]を 、それぞれが働いている分野から撤退させ、元々の状態に配置する[viniyamya]と言いました。
これは、瞑想で座っている間、考えを瞑想している対象物に引き戻す、ということです。
感覚器官を引き戻し、それぞれの場所に配置するとは、サンカルパが対処されて、感覚器官が対象物に向かって行ってしまわないということです。
全ての活動から引き下がることを、ここでは、完全なもの[samantataḥ]として描写されています。
24番の詩では、瞑想中どの様に座り、姿勢、目線など、今まで述べられた全てを包括し、25番の詩では、それがまとめられます。
