千葉県立 青葉の森公園近くの小さなヨガ教室

ギーターヨーガ

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【ギーター】第6章27番目の詩

प्रशान्तमनसं ह्येनं योगिनं सुखमुत्तमम् ।
praśāntamanasaṃ hyenaṃ yoginaṃ sukhamuttamam |

उपैति शान्तरजसं ब्रह्मभूतमकल्मषम् ॥६.२७॥
upaiti śāntarajasaṃ brahmabhūtamakalmaṣam ||6.27||

考えが平和で、ラジャスが全て解消し、あらゆる欠陥から自由なこの瞑想者に、

実に、最も卓越した幸せが訪れます。その人は(知識を通して)ブランマンです。

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クリシュナは、最も卓越した幸せ[ウッタマ・スカ]が、熟考の結果として訪れると言います。

ウッタマ・スカは、満ち足りたもの[プールナットヴァ]、まさにアートマーのスヴァルーパです。

喜びや幸せの時、探求者(足りていないセンスの人)と、探求されるもの(安心や喜び)の違いが解消され、ボーダーはありません。

対象物や状況が関わるとしても、アートマーだけしかありません。

例えば、音楽の体験の中で、知る人、知識、知られるものは、スカと呼ばれる全体に融合し、これら3つの分離は解消しています。

その体験を1つの全体にするのはアートマー、意識であるアートマーが、その体験をスカにします。

アートマーの本質を説明するための定義[ラクシャナ]として、スカという言葉を使うことができます。

それは、全体、限りのないもの、対象物と自分自身は分かれてはいません。

アートマーである、この分かれていない全体が、ここでスカという言葉で説明されます。

それは、束の間の喜びのスカではなく、絶対的な[アーテャンティカ]・スカ、または本源的[ウッタマ]・スカ、それはまさに本質[スヴァルーパ]・スカですから、どんなものとも比べることはできません。

◎それでは、誰が絶対のスカに相応しいのか?

デャーナ・ヨーガを練習した結果と、知識を得る前に必要となる4つ資質が述べられます。

1.考えがひとつにまとまり落ち着いて穏やかな人[プラシャーンタ・マナス]

2.純粋でないものが、全て解消した人[シャーンタ・ラジャス]

3.人生における追求が間違ってない人[ア・カルマシャ]

4.「ブランマンが全てですから、私は全て」と知る人[ブランマ・ブータ]

ラジャスを、完全に間違っているものに魅了されること[モーハ・アーディ・クレーシャ]とシャンカラは定義しました。

※モーハ・アーディ

混乱[モーハ]、間違った上乗せ[ヴィパルヤヤ]、執着[ラーガ]、嫌悪[ドヴェーシャ]、悲しみ[ショーカ]

※ヨーガ・スートラで言われる5つの苦悩[クレーシャ]

無知[ア・ヴィッデャー]、私という観念[アスミター]、執着[ラーガ]、嫌悪[ドヴェーシャ]、死への恐れ[アビニヴェーシャ]

ここで述べられた4つの資質を備えた人、アートマーを瞑想する人は、ウッタマ・スカ、すなわちアーナンダを得ます。

アートマーの知識によって、このスカが、あたかも訪れます。

◎スカが、その人に訪れるのか、それとも、その人がスカを得るのか?

この詩で、ウッタマ・スカは文章の主語で、瞑想者が対象(目的語)です。

アーナンダが、私に到達するか、私がアーナンダに到達するのか?

どちらも正しいですが、次の詩で、それを見ていきます。