प्रशान्तमनसं ह्येनं योगिनं सुखमुत्तमम् ।
praśāntamanasaṃ hyenaṃ yoginaṃ sukhamuttamam |
उपैति शान्तरजसं ब्रह्मभूतमकल्मषम् ॥६.२७॥
upaiti śāntarajasaṃ brahmabhūtamakalmaṣam ||6.27||
考えが平和で、ラジャスが全て解消し、あらゆる欠陥から自由なこの瞑想者に、
実に、最も卓越した幸せが訪れます。その人は(知識を通して)ブランマンです。
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クリシュナは、最も卓越した幸せ[ウッタマ・スカ]が、熟考の結果として訪れると言います。
ウッタマ・スカは、満ち足りたもの[プールナットヴァ]、まさにアートマーのスヴァルーパです。
喜びや幸せの時、探求者(足りていないセンスの人)と、探求されるもの(安心や喜び)の違いが解消され、ボーダーはありません。
対象物や状況が関わるとしても、アートマーだけしかありません。
例えば、音楽の体験の中で、知る人、知識、知られるものは、スカと呼ばれる全体に融合し、これら3つの分離は解消しています。
その体験を1つの全体にするのはアートマー、意識であるアートマーが、その体験をスカにします。
アートマーの本質を説明するための定義[ラクシャナ]として、スカという言葉を使うことができます。
それは、全体、限りのないもの、対象物と自分自身は分かれてはいません。
アートマーである、この分かれていない全体が、ここでスカという言葉で説明されます。
それは、束の間の喜びのスカではなく、絶対的な[アーテャンティカ]・スカ、または本源的[ウッタマ]・スカ、それはまさに本質[スヴァルーパ]・スカですから、どんなものとも比べることはできません。
◎それでは、誰が絶対のスカに相応しいのか?
デャーナ・ヨーガを練習した結果と、知識を得る前に必要となる4つ資質が述べられます。
1.考えがひとつにまとまり落ち着いて穏やかな人[プラシャーンタ・マナス]
2.純粋でないものが、全て解消した人[シャーンタ・ラジャス]
3.人生における追求が間違ってない人[ア・カルマシャ]
4.「ブランマンが全てですから、私は全て」と知る人[ブランマ・ブータ]
ラジャスを、完全に間違っているものに魅了されること[モーハ・アーディ・クレーシャ]とシャンカラは定義しました。
※モーハ・アーディ
混乱[モーハ]、間違った上乗せ[ヴィパルヤヤ]、執着[ラーガ]、嫌悪[ドヴェーシャ]、悲しみ[ショーカ]
※ヨーガ・スートラで言われる5つの苦悩[クレーシャ]
無知[ア・ヴィッデャー]、私という観念[アスミター]、執着[ラーガ]、嫌悪[ドヴェーシャ]、死への恐れ[アビニヴェーシャ]
ここで述べられた4つの資質を備えた人、アートマーを瞑想する人は、ウッタマ・スカ、すなわちアーナンダを得ます。
アートマーの知識によって、このスカが、あたかも訪れます。
◎スカが、その人に訪れるのか、それとも、その人がスカを得るのか?
この詩で、ウッタマ・スカは文章の主語で、瞑想者が対象(目的語)です。
アーナンダが、私に到達するか、私がアーナンダに到達するのか?
どちらも正しいですが、次の詩で、それを見ていきます。