【ギーター】第2章14~15番目の詩
2017/12/16
मात्रास्पर्शास्तु कौन्तेय शीतोष्णसुखदुःखदाः ।
mātrāsparśās tu kaunteya śīta-uṣṇa-sukha-duḥkhadāḥ |
आगमापायिनोऽनित्यास्तांस्तितिक्षस्व भारत ॥२.१४॥
āgamāpāyino anityās tān titikṣasva bhārata ||2.14||
クンティの息子よ 感覚と世界の接触は
寒暑、苦楽を引き起こし
来ては去る性質で不変ではない
それらを理解して受け入れよ バラタの子孫よ[2-14]
–
クリシュナは、感覚器官が捉える
世界について話しました。
感覚器官[マートラー]は
世界と接触を持ちます。
これらの接触[スパルシャー]は
寒暑、苦楽などの経験を与えます。
私が、心地良い晴れの日を望むとしても
同時に雨を求め祈る人々がいます。
苦楽を起こすのは、反応であり
全ては感覚器官と世界の接触です。
肉体は物理的な世界に属し
世界は、何かの肉体的な痛みを引き起こします。
物理的な痛みは
受け入れられ、癒されるべきものですが
悲しみは、自分で作り上げているものです。
クリシュナは、世界との接触を避けなさいと言わず
受け入れ、理解しなさい
[ティティクシャッスヴァ]と言いました。
全ての状況を起こるままに
ユーモアのセンスで難なく切り抜けなさいと。
リアリティの種類の混乱から起こる
ある種の「かたまり」があります。
考え、感覚器官、肉体は、類するリアリティ
アートマーは、別のリアリティの種類です。
悲しいという時、アートマーが
まるで考えと同じリアリティの秩序に
属しているかの様に
悲しみの中にアートマーを巻き込みます。
アートマーは、アナートマーにされ
沢山の中の1つにされてしまいます。
アートマーは、それらどの様なものでもなく
悲しみは、アートマーがなくてはあり得ません。
悲しみがある時は、アートマーが何かしら
巻き込まれています。
無知がアートマーに悲しみを負わします。
世界とは何か、その状況とは何か
それを理解する、客観的な人に
悲しむ理由はありません[アショーチャ]。
行動を起こす状況がただあるだけです。
यं हि न व्यथयन्त्येते पुरुषं पुरुषर्षभ ।
yaṃ hi na vyathayanti ete puruṣaṃ puruṣarṣabha |
समदुःखसुखं धीरं सोऽमृतत्वाय कल्पते ॥२.१५॥
samaduḥkhasukhaṃ dhīraṃ saḥ amṛtatvāya kalpate ||2.15||
人間の中で一際目立つ人よ 苦楽を同じに見て
それに影響されず 見極める能力がある人は
自由を得るに値します[2-15]
–
アルジュナは、雄牛[ルシャバ]だと呼ばれました。
雄牛の背中のコブは、一際目立ちます。
アルジュナは人間[プルシャ]の中でも
高貴で、高く評価された人でした。
アートマーの知識を持つ人[ディーラ]は
対極のものに同じに留まります。
苦楽がその人に影響を及ぼしません。
死、すなわち移り変わること[アムルタットヴァ]
から自由です。
11番目の詩~15番目の詩で
知識を得るに相応しい人[アディカーリー]が
クリシュナによって語られました。