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ギーターヨーガ

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【ギーター】第2章17番目の詩

अविनाशि तु तद्विद्धि येन सर्वमिदं ततम् ।

avināśi tu tadviddhi yena sarvamidaṃ tatam |

विनाशमव्ययस्यास्य न कश्चित्कर्तुमर्हति॥२.१७॥

vināśamavyayasyāsya na kaścitkartumarhati||2.17||

それ(サット)により、全世界が満たされ、破壊されることのないもの、それを知りなさい

変化しないものの破壊を、誰も引き起こせません[2-17]

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この世界は、破壊の対象なので、サットではなくア・サットです。

この詩でサットとミッテャー(ア・サット)がとても明らかにされます。

サットは、ア・サット以外のものですが、ア・サットは、サット以外のものではありません。

土は、ポット以外のものですが、ポットは土以外のものではありません。

存在というもの[サット・ヴァストゥ]は、ヴィシュヌと呼ばれます。

空間を含む全世界、全てに行き渡るものがヴィシュヌ、それがサットです。

サット無しにア・サットはないので、ア・サットの存在[バーヴァ]は、サットの存在[バーヴァ]に他なりません。

土で出来たポットの存在は、もともと土の存在にあります。

その存在[バーヴァ]は、ポットではなく土に属しています。

「ポットが在る」と言う時、この「在る」がサットです。

サットがなければ、アサットは存在しません。

土がA、ポットがB

BはAですが、AはBではないということです。

Q1.サットがそれ自身を滅ぼすことは可能か?

A.いいえ、それは変化[アッヴャヤ]の対象ではないですから

Q2.ア・サットがサットを滅ぼすことは可能か?

A.いいえ、サットは全てのものに行き渡っているので、他のものというのがありません。

存在というもの[サット・ヴァストゥ]は、2つとない1つ[エーカム アドヴィッティーヤム]です。

どんなア・サットも、サット・ヴァストゥに頼っていて、独立した存在は全く在りません。

”ポットが、土を破壊出来たりしません”

わたし[アートマー]は、いつも分かれていません。

数や状況、あらゆる行為がアートマーに変化をもたらしません。

実際、関わり[サンバンダ]がありません。

土とポットの間に関わりがない様に、そこに在るのは、土だけなのですから、ポットが土である時、それらの間には関わりがありません。

これがアートマーの本質です。

例えイーシュヴァラですら、このアートマーを滅ぼすことはできません。

※シャンカラバーシャ

अतः 0 अव्ययस्य 6/1 अस्य 6/1 ब्रह्मणः 6/1 विनाशम् 2/1 न 0 कश्चित् 0 कर्तुम् 0 अर्हति III/1,

न 0 कश्चित् 0 अत्मानम् 2/1 विनाशयितुम् 0 शक्नोति III/1 ईश्वरः 1/1 अपि 0। आत्मा 1/1 हि 0 ब्रह्म 1/1, स्वात्मनि 7/1 च 0 क्रिया-विरोधात् 5/1 ॥

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神を見下げようとしているのではなく、イーシュヴァラがアートマーなので、そのイーシュヴァラが、サッチダーナンダ・アートマーを滅ぼすことは出来ません。

行い手とその対象の関係[カルトゥル・カルマ・サンバンダ]は、イーシュワラとアートマーの間には不可能です。

しかし、帰依者とイーシュワラの間にはあります。

Q3.帰依者とイーシュワラの間に関係がありませんか?

A.あります

個人であれば関係があります。

イーシュワラは、個人である帰依者を助けたり、喜ばせたり、罪を与えることが出来ます。

しかし、イーシュワラはサット・アートマーを滅ぼす事は出来ません。

2つは同じものなのですから、行い手と、その対象の関係がありません。

個人は、自分自身をナイフで傷つける事が出来ます。

アートマーが部分を持つなら、そのような破壊は起こり得ますが、アートマーは部分を持っていません。

アートマーは全体、それは、変化しないもの[アッヴャヤ]、破壊できないものです。