अविनाशि तु तद्विद्धि येन सर्वमिदं ततम् ।
avināśi tu tadviddhi yena sarvamidaṃ tatam |
विनाशमव्ययस्यास्य न कश्चित्कर्तुमर्हति॥२.१७॥
vināśamavyayasyāsya na kaścitkartumarhati||2.17||
それ(サット)により、全世界が満たされ、破壊されることのないもの、それを知りなさい
変化しないものの破壊を、誰も引き起こせません[2-17]
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この世界は、破壊の対象なので、サットではなくア・サットです。
この詩でサットとミッテャー(ア・サット)がとても明らかにされます。
サットは、ア・サット以外のものですが、ア・サットは、サット以外のものではありません。
土は、ポット以外のものですが、ポットは土以外のものではありません。
存在というもの[サット・ヴァストゥ]は、ヴィシュヌと呼ばれます。
空間を含む全世界、全てに行き渡るものがヴィシュヌ、それがサットです。
サット無しにア・サットはないので、ア・サットの存在[バーヴァ]は、サットの存在[バーヴァ]に他なりません。
土で出来たポットの存在は、もともと土の存在にあります。
その存在[バーヴァ]は、ポットではなく土に属しています。
「ポットが在る」と言う時、この「在る」がサットです。
サットがなければ、アサットは存在しません。
土がA、ポットがB
BはAですが、AはBではないということです。
A.いいえ、それは変化[アッヴャヤ]の対象ではないですから
A.いいえ、サットは全てのものに行き渡っているので、他のものというのがありません。
存在というもの[サット・ヴァストゥ]は、2つとない1つ[エーカム アドヴィッティーヤム]です。
どんなア・サットも、サット・ヴァストゥに頼っていて、独立した存在は全く在りません。
”ポットが、土を破壊出来たりしません”
わたし[アートマー]は、いつも分かれていません。
数や状況、あらゆる行為がアートマーに変化をもたらしません。
実際、関わり[サンバンダ]がありません。
土とポットの間に関わりがない様に、そこに在るのは、土だけなのですから、ポットが土である時、それらの間には関わりがありません。
これがアートマーの本質です。
例えイーシュヴァラですら、このアートマーを滅ぼすことはできません。
अतः 0 अव्ययस्य 6/1 अस्य 6/1 ब्रह्मणः 6/1 विनाशम् 2/1 न 0 कश्चित् 0 कर्तुम् 0 अर्हति III/1,
न 0 कश्चित् 0 अत्मानम् 2/1 विनाशयितुम् 0 शक्नोति III/1 ईश्वरः 1/1 अपि 0। आत्मा 1/1 हि 0 ब्रह्म 1/1, स्वात्मनि 7/1 च 0 क्रिया-विरोधात् 5/1 ॥
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神を見下げようとしているのではなく、イーシュヴァラがアートマーなので、そのイーシュヴァラが、サッチダーナンダ・アートマーを滅ぼすことは出来ません。
行い手とその対象の関係[カルトゥル・カルマ・サンバンダ]は、イーシュワラとアートマーの間には不可能です。
しかし、帰依者とイーシュワラの間にはあります。
A.あります
個人であれば関係があります。
イーシュワラは、個人である帰依者を助けたり、喜ばせたり、罪を与えることが出来ます。
しかし、イーシュワラはサット・アートマーを滅ぼす事は出来ません。
2つは同じものなのですから、行い手と、その対象の関係がありません。
個人は、自分自身をナイフで傷つける事が出来ます。
アートマーが部分を持つなら、そのような破壊は起こり得ますが、アートマーは部分を持っていません。
アートマーは全体、それは、変化しないもの[アッヴャヤ]、破壊できないものです。