2018-03-03

【ギーター】第2章18番目の詩②

2018/03/03

अविनाशि तु तद्विद्धि येन सर्वमिदं ततम् ।

avināśi tu tadviddhi yena sarvamidaṃ tatam |

विनाशमव्ययस्यास्य न कश्चित्कर्तुमर्हति॥२.१७॥

vināśamavyayasyāsya na kaścitkartumarhati||2.17||

永遠不滅で プラマーナで知られず

体を支える人にとって 

その支える体は終わりあるものである

故にバラタの子孫よ 戦え![2-18]

全ての肉体は破壊の対象[アニッテャ]です。

全ての体を得るわたしは永遠[ニッテャ]です。

わたしは知識の対象ではない[アップラメーヤ]です。

知る手段[プラマーナ]を使い

知られるものではありません。

器や、植物や、体の様に

わたしが知るものの1つではありません。

わたしは、ヴェーダを通してでさえ

知られることはないのです。

ヴェーダーンタの教えを聞く前に

わたしは、そこに在らねばならないものです。

わたしという存在は、ヴェーダの様なプラマーナでも

知覚や推理でも知られることはありません。

探求は、探求するわたしが在る時にだけ可能です。

アートマーは「知識の対象」としては捉えられない。

しかし、知られていないものではありません。

それは、いつもそれ自身で明らかです[स्वतःसिद्ध svataḥ-siddha]

「私は存在する。I am.」

という知識はいつもで明らで

既に自己証明されています。

わたしは既にアートマーを知っているのなら

何故ヴェーダーンタがプラマーナになり得るのか?

それは、私についての間違った観念を取り除くので

プラマーナの地位を持つのです。

アートマーの上に重ねられた

全ての投影を取り除くことに関してのみ

プラマーナットヴァを持ちます。

知識は、無知を取り除くことに他ならなく

無知の上に投影されたものでありえません。

無知を取り除くことだけが必要なのです。

ヴェーダーンタシャーストラが

それを取り除くことができます。

この詩の中でクリシュナは

全ての肉体は滅びるものではあるが

肉体に宿るものであるアートマーは

捉えられる対象物・客体ではなく

捉えるもの主体であり

滅びるものではないと言っています。

そして、最後にクリシュナは

「ですからアルジュナよ、戦え!」

と言って締めくくりますが

これはアルジュナに戦いなさいと

命令したのではないとシャンカラは言います。

クリシュナは戦いに従事することを

すすめたのではなく、もちろん懇願でもなく

アルジュナの障害[プラティバンダ]である

悲しみ、妄想を取り除こうとしたのです。

クリシュナは、ただただダルマでした。

「子供を育てるのは大変です。

私は子供を育てるのをやめて

自分自身を探求したいのです」

と、もし誰かが言うなら

「子供の世話をしなさい」とクリシュナは言います。

たまたま戦場にいたアルジュナに

「するべきことを、しなさい」と

クリシュナは言ったのでした。

ギーターの中には、この場面の様に

意図する意味を人々が勘違いしてしまいます。

理解すべき場面が幾つもあるのです。

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